冬の強い風が吹き、突き刺すような寒さの中、漁を終え、相棒の「新政丸」が日立市の久慈浜の漁港に接岸した。シラスがぎっしり入った約25キロの箱を次々と降ろすと、漁師の妻らが隣接する市場へ運んだ。 漁がうまくいき、無事に帰港して市場で売れていく。ネットで瞬時に商売ができる平成の世の中でも、魚を消費者に届けるのは漁師の肩に掛かる。「消費者においしい魚を食べてもらいたい」という思いを胸に、寒い日も暑い日も地道に毎日を積み重ねている。
秋田県の漁業は漁獲量は少ないものの、取れる魚種は約150に上り、豊かな水産資源に恵まれている。漁業者の減少や高齢化が大きな課題となる中、近年では、担い手の掘り起こしを目指す県や県漁業協同組合などの取り組みにより、新規就業の動きも出てきた。秋田の海に魅せられ、一人前の漁業者を目指して奮闘する若者を追った。 12月中旬、由利本荘市の西15キロほどの沖合。寒空の下、高波で大きく揺れる第五栄徳丸(14トン)の上で、藤岡亜津史さん(26)=にかほ市金浦=が先輩4人と底引き網をたぐり寄せていた。にかほ市の金浦漁港を出て30分ほどの場所だ。 船長の柳田章さん(59)=同=が電動ウインチで巻き上げる網が絡まぬよう、藤岡さんらは必死だった。網がいよいよ船上に上がると、銀色に輝く大量のハタハタが見えた。 藤岡さんがハタハタ漁のシーズンを迎えるのは3回目。この日の仕事を終えると「たくさん取れるとやっぱり楽しい」
「平成」最後の正月を迎えた。皆さんの家の食卓に並ぶ縁起物のタイはどこで捕れたものだろうか。兵庫県では、今でこそ「明石ダイ」が有名になったが、南あわじ市阿那賀の丸山漁港で水揚げされる「鳴門ダイ」は大正、昭和、平成と3代にわたり、兵庫県を代表して天皇陛下の即位時の「大嘗祭」などで献上されてきた逸品だ。ただ、最後の献上から約30年、日本人の魚食は減り、タイの価格は下落した。人口減少は進み、小さな漁師町もその波にのまれる。だからこそ、「次の時代も献上を-」。漁師らは「献上鯛」のブランド化に地域の未来を託す。(高田康夫) 平成の大嘗祭では、兵庫から4品が献上された。宮内庁によると、丹波黒大豆、丹波くり、兵庫のり(明石産)、そして丸山の干し鯛だ。大正、昭和時代は文献や資料を繰るしかないが、平成の献上鯛は、漁協関係者が当時の奔走を覚えている。 まずは丸山漁港に水揚げされたタイの中から、1・5キロ程度のえ
2019年1月1日 境港水揚げ量 全国5位 18年10%減、金額も5位 西日本有数の漁業基地・境漁港(境港市)の2018年の水揚げ量は前年比10・2%減の11万5374トンとなり、全国順位(暫定)は前年と同じ5位だった。水揚げ金額は同5・8%増の217億7439万3千円で、
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