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ネットとコミュニケーションに関するelielinのブックマーク (26)

  • twitterに耐えられない人には、インターネットは難しい

    twitterは、かつてのmixiなどに比べて拘束感の少ないコミュニケーションを楽しめるツールとして普及してきている、と思う。タイムラインを全部読まなければならないとか、返答義務を意識してしまうような状況も少ない。特にfollowersの人数がそれなりに多い人同士の繋がりの場合などは、殆ど応答が無い状況がいつまでも続いたとしても、殊更問題になるようなことは無い。また、removeのしやすさという点でも、よほど人数が少ないtwitterユーザー同士の間でもない限りは、かなり簡単に実行することができる。仮にremoveのような事態が起こったとしても、followersが十分に大きければそれほど打撃にはならないし、そんな事に拘泥していられない程度にはタイムラインのログの流れは速い。 こうしたtwitterの、返答義務の乏しさ・removeのしやすさ・タイムラインの流れの速さなどは、従来のコミュニ

    twitterに耐えられない人には、インターネットは難しい
  • id:toled氏に対する誤解について - Thirのノート

    随所で「(いわゆる)はてサが東浩紀先生に対し『祭り』的な態度で授業に望もうとした」という誤解」が生まれているようです。これは、id:toled氏が氏のエントリ内であたかも自らが「道化」のように振る舞ったような描写をしているために生まれている誤解のように思われますが、実際には、id:toled氏にはそのような意図はなかった、と私は思っております。実際、私は授業には行かずその後彼らと合流したのですが、その際の話について、若干述べておきます。 id:toled氏はまじめに授業を受ける気だった 別にid:toled氏はあたかも学生運動時における学生のように、彼らの授業を「糾弾」しようとしていたわけではありません。むしろ東先生の授業を真摯に受け止め、その上で反論する機会を東先生が用意したらする、といった態度を取っておりました。その証拠に、氏はアガンペン著の「例外状態」英訳版や、東浩紀著の「リアルのゆ

    id:toled氏に対する誤解について - Thirのノート
  • 「東工大授業の顛末」について、書いておくべきと思ったので書きます。 - 地を這う難破船

    迷ったし柄でもないけれど、書くことにします。ひとつの、むろんきわめて主観的な「証言」として。お断りしておくと、長いです。 ⇒次は、トラメガを持って東工大に行きますーーポストモダニズムを体で感じて、人類に希望をもった話(重要な追記あり) - (元)登校拒否系 ⇒hirokiazuma.com 私も足を運んでいました。 話には前段があって、私の事情の経緯説明から。 私は東浩紀の10年来の読者で、東工大の授業の速記録についても前年度のそれから、速記者に黙して感謝しつつ目を通していた。とりわけ年度のそれは速記録の時点で滅法面白く、南京大虐殺をめぐる発言が波紋を呼ぶ以前から私はずっと読んでおり、授業に足を運んで直接それを聞きたいと思いつつも、場所時間の都合で多く物理的な事情から無理であったし、もうそういう柄でもないかと勝手に自分を納得させていた。昔は関心ある著述家の大学での授業は、モグリに寛大なこ

    「東工大授業の顛末」について、書いておくべきと思ったので書きます。 - 地を這う難破船
  • http://www.hirokiazuma.com/archives/000470.html

  • ネット脳という病気

    「最近寒いなあ」という発言に対して あるネット中毒者は「寒い? 甘えるな。俺は12時間も働いてるんだ。現実が正解だ」と怒った。 あるネット中毒者は「奴隷みたいな思考停止だ。寒いのは社会の歪みだ。マスコミの報道は偏っている」と嘆いた。 あるネット中毒者は「いや、内面的な意味だよ。この人は友達がいない人で、病の気もあるんだ」と推測して見せた。 あるネット中毒者は「お前たちはそれが面白いと思うのか。笑いのレベルが低い奴等だな」と憤った。 あるネット中毒者は「僕はさほど寒いと思わないなあ。もちろん、寒いと思う人を馬鹿にしてるわけじゃないけどね」と饒舌に語った。 あるネット中毒者は「寒さを感じなくなるたった3つの方法」というエントリを考えた、二時間を費やして。 普通の人は「寒いですね」と返した。

    ネット脳という病気
  • 批判と中傷を見分ける7つのポイント。 - Something Orange

    阿呆は何時も彼以外の人々を悉く阿呆と考えている。 芥川竜之助 毎日、ネットで大量に文章を発表していると、自分の書いた内容に対し、様々な意見を受け取る。 ときには元の文章の数倍、数十倍という分量になることすらある。賞賛や賛同を示すものもあるが、異論、反論なども少なくない。 まあ、少なくないのはぼくの不徳のいたすところかもしれないが、とにかく賛成意見ばかりではないことはたしかだ。 そのなかには渋々受け入れざるを得ない的確な批判もある。反対に、誹謗中傷としかいいようがない代物もある。 しかし、それはぼくがかってに批判と思い、誹謗と感じているだけのことであって、「批判」と「誹謗中傷」を明確に分かつことはなかなかむずかしい。 そこで、今日はぼくが考える「公正な批判」の特徴について書いておくことにした。裏返せば「根拠なき誹謗中傷」の特徴でもある。ネットで誰かに批判されたときなどに役立ててくれたらうれし

    批判と中傷を見分ける7つのポイント。 - Something Orange
  • ケータイ世代の視野の狭さ - novtan別館

    世代論としては愚劣だと思わなくもないのは携帯世代というよりは携帯「しか」使わない世代的なものだと思っているからなんだけど、それはさておき。 今、ケータイを取り巻く世界では何が起きているのだろうか。知りたいと思っても、まとめサイトがない。PCとケータイは世界が分断されており、情報が入ってこない状態である。 http://journal.mycom.co.jp/series/mobilecom/001/index.html それ、携帯使えよw「PC世代よ、ケータイコミュニケーションを知ろう」どころじゃないだろw あえて世代論として、すごく雑感的に記すと、僕が携帯で我慢が出来ないのは、そのI/Fの劣悪さとスピード、そして何より単位時間(というより面積か)当たりの情報量なのであるが、携帯で満足している人にとってそこは重要ではないようだ。つか、僕らにとって、携帯は手段である。彼らにとって携帯は目的で

    ケータイ世代の視野の狭さ - novtan別館
  • 想いと表現の間 - 情報発信は自己顕示欲なのか

    ある人に「twitter使ってる?」とたずねたら「私はそんなに自己顕示欲が強くないのでそれほど楽しくない」といわれたんですね。あれれ、私はtwitter結構使ってますが(ついったー部員だし)あれはむしろ自己顕示欲が強い人は楽しめないサービスだと思うなあ。だって、自分が渾身の一ネタを投下しても、何百人もfriendsがいる相手だと一瞬でログが流れてっちゃうし、あまりしつこく発言しつづけると知らないうちにremoveされてるかも知れないわけで。さらに、そのへんでなんかもやもやとした気分が抜けなくて夜中に一人で考えてたんですが、「情報発信する=自己顕示欲が原動力」というのは少なくとも自分にとっては違和感があるし、そういう風に思われるとなかなか普通の人は自分の名前を出しての情報発信は楽しめないんじゃないかなあと思ったのですね。自分がどうして、つたない文章ながらブログを書いたり、twitterで日常

  • 「ニコニコブックマーク」早くも終了 「その域に達していない」

    ニワンゴは、9月19日に公開したばかりのソーシャルブックマークサービス「ニコニコブックマーク(β)」を、10月5日に終了した。「ニコニコ的に、まだ、その域に達していないと判断した」ためとサイト上で説明している。 ニコニコブックマークは、URLをブックマークすると、そのページをキャプチャした画面上にコメントを貼り付け、他ユーザーと共有できるサービス。今年6月に仮公開し、9月19日にリニューアルしてβ公開していた。 β公開から2週間強でのサービス終了について、同社は「サービスとして持つポテンシャルは確信しているが、期待したほどのアクセスがなかったことなどにより、サービスをいったん白紙に戻して見直すことになった」とコメントしている。

    「ニコニコブックマーク」早くも終了 「その域に達していない」
  • 炎上ブックマーク「炎ジョイ」、開設から2日で休止

    スパイダーネットワークスは11月22日、「炎上」しているブログやWebサイト情報を共有する「炎ジョイ」β版を、20日の開設から2日で休止した。同社は「想定以上に多くのユーザーが訪れ、さまざまなサイトオーナーやユーザーに迷惑をかけた」などと謝罪。しばらく休止してシステムなどを見直し、面白いサイトについて議論する「ソーシャルディスカッションサイト」として復活させるという。 炎ジョイは、中傷などが殺到して「炎上」しているサイトやブログの情報をユーザーが投稿し、共有するソーシャルブックマークサイトとして20日にオープンした。炎上サイトをキャプチャし、その上のレイヤーにユーザーが自由にコメントを書き込め、書き込んだコメントは「ニコニコ動画」のように右から左に流れていく――という仕組み。炎上サイトへのリンクも備えていた。 「レイヤー上で“ガス抜き”をすることで、ブログ体の炎上を一定数阻止できるのでは

    炎上ブックマーク「炎ジョイ」、開設から2日で休止
  • 書き手に「読者に読ませない権利」はあるのか - 新しいTERRAZINE

    「権利」って言葉、あんまり好きじゃないんだよなぁ。 簡単な経緯 10/16 id:idiotape により「ある個人史の終焉」が公開される 多くの反響を呼ぶ 11/04 id:hashigotan によるブックマークコメント「[苦労知らずの糞餓鬼] 一行も読んでないけど周囲の反応だけ見て一言。 子供産めない女に土下座して謝れ、チンコやマンコに問題抱えて苦しんで生きてる男女に土下座して謝れ。いい気になるな、三日以内に消えろ。世も末だな」が付けられる。 同日 「ある個人史の終焉」へのブックマークコメント群に対し、id:hashigotan によるメタブックマークコメント「[苦労知らずの糞餓鬼] 馬鹿共が「感動した」とか、うじゃうじゃ寄り付いてるが、この反応見ただけで読む気がうせるな。ますます少数派が生き辛くなるじゃないか・・・ こうゆう人間こそ魔女狩りでも何でもええから消すべきじゃないのか」が

    書き手に「読者に読ませない権利」はあるのか - 新しいTERRAZINE
  • コミュニケーションする為にウエブを使おうとすると大抵挫折する - 煩悩是道場

    WebArt twitterの面白さがわからないメソッドは何を伝えようとしているのか。twitterであれウエブログであれ、多くの人がコミュニケーションツールだと思っているのだと予測するのだけれどもウエブというのは使い始めの時は知り合いなんかいるわけなくて自ら声を掛けなければ声が掛かる事は先ずない。ブログだってエントリを書かなければ読まれない。 「ウエブと"リアル"」という対比をしたときの"リアル"とは対面型コミュニケーションを指している。家庭、学校、地域、会社など、自分と自分を取り巻く何らかの状態状況から発生するコミュニケーションを"リアル"と表現している。これはウエブを表現の場としてではなくコミュニケーションの場として概念的に捉えているから来る誤解なのだけれども、ウエブを表現の場として考え且つコミュニケーションは表現に付随するものである、或いはウエブに於けるコミュニケーションはコラボレ

  • スラッシュドット ジャパン | 電子メールはもう古い?

    最近の若い社員は、メールを送っても数日に1回しかメールをチェックしないので来ていることに気づかない、みたいな人もいてさすがに1日1回はメールみてくれよ、などと言ったりするのですが、相対的にメールの使用頻度は下がってきているような気がします という一節があって驚きました。一方Intelのような海外企業の一部では、メールへの対応で生産性が低下するので金曜日はメール禁止にしようという運動が起こっているようです。 個人的にも、メールは来る量が多くなりすぎてさばけなくなる一方、仕事上の実際のコミュニケーションはMSNメッセンジャーやGTalk、IRCといったチャット、あるいはTwitterのようなマイクロブログで行うことが多くなってきているような気がします。/.Jerの皆さんにとって、電子メールの重要性は低下していませんか?

  • http://hotwired.goo.ne.jp/bitliteracy/shirata/031223/

  • 忘却防止。 - はてなが敬遠される3つの特徴〜つながりやすさの行き着く先

    断片部 - 結局それだけのことなんだろ - ある種の「キモい人たち」を集めることができたからはてなは成功している suVeneのあれ: ムラ社会、及びムラビトにおける幾つかの勘違い はてなは“はてな村”なのか、という話題について。 はてなの外の人から、はてなのイメージについて直接話を聞く機会があったので書き留めておきたい。 はてなって、どうよ? ブログを書いていると公言しているリアルな知人に、おすすめのブログサービスについて意見を聞く機会があった。 自分がブログを書いていることはひとまず伏せつつ、どのようなサービスが馴染みやすいのかを尋ねてみた。 知人 「ブログって、自分の意見とかがきっかけで友達が増えたりするのが面白いよ。hatayasanもブログやったら楽しいよ。」 hatayasan 「でも、初心者がブログ始めようと思ったら、どんなサービスがいいのかなあ。」 知人 「ゼロから始めるの

    忘却防止。 - はてなが敬遠される3つの特徴〜つながりやすさの行き着く先
  • ウェブサイト上の「善意」に関する雑感:ekken

    批判を回避するために「善意」を持ち出してはいけない 予想以上に拡がっている「善意の転載」問題(ekken♂ : 他人の善意を利用して悪意なきスパムをばら撒くこと参照)ですが、チェーンテキストに対する嫌悪感を意思表示した記事に対し、「善意でやっていることを批判するなんて……」という主旨の言及がされました。 しかし「善意が動機の行動」は必ずしも正しい物ではありません。 「みんなの善意だから」「良かれと思ってやっていることなのに」は、それが正しい事ならともかく、間違いだった時に拡がる事を止め難くなるのです。 善意の行動が好ましい事ではないと指摘された時に持ち出される「善意だから批判するな」は、単なる批判回避です。「善意」を持ち出すことで、「私を批判しないで」という圧力をかけているのです。 善意を持ち出す多くの人には一片の悪意もないことと思いますが、そう思う人が多いことを利用すれば、悪意の隠れ蓑に

  • Onlooker+beta 無断リンク問題で渦中のYokoさんとチャットで話した。その1

  • カツ紅 - そしてボクはmixiに絶望した

    ここ1年ぐらい、mixiをべったり使ってみたのだが、少し距離を置いてみることにした。何やらネット界隈で言うところの「mixi疲れ」だとか「ネットリテラシが低くてごにょごにょ」だとかそういうことなんだろうけど。 概ねマイミクの方々とは上手くやっていたし、直接何か原因になる出来事があったわけでもない。ただ、最初から感じ続けていた違和感のようなものが、消化もされず風化もせず、かといって増幅していったわけでもなく、ただずっとそこにあった。「ある閉鎖された空間での、内輪的コミュニケーション」という事で言うなら、ボク自身はインターネット以前のパソ通から経験している。最初mixiをはじめた頃はパソ通に近いものを感じて、そういう方向でやるものなのだと思っていたのだが、どうも随分と勝手が違った。マイミクのマイミクといえども、そしてその共通のマイミクの人を通してよくお互いコメントを見る事になったとしても、直接

  • ウィンドバード::Recreation - 図で見るブログと2chの違い(とネットイナゴの話)

    ブログの場合 ブロゴスフィアでの論争は、基的には一騎打ちです。ブロガーたちは自分のハンドルネームとプロフィールを公開し、エントリにパーマリンクを用意し、挑戦状代わりにトラックバックを送ってから、正々堂々と決闘します。それを見てブックマーカーたちは好き勝手なことを言いますが、あくまで野次程度のもので、彼らが闘技場まで降りることはありません。当事者間のことは当事者間で解決すべし、というスタンスです。 2chの場合 いわゆる2的空間*1では決闘は行われません。2ちゃんねらーはいちおう闘技場に上りますが、彼らは対戦相手を言い負かすことよりも観客席へのアピールを熱心に行います。たとえばそれらしいソースを用意してみたり、あるいはガイドラインによって相手の論理を詭弁っぽく見せたり。最終的には、より多くのROMを納得させた方が勝ちとなります。対戦相手を言い負かす必要はなく、2的空間での審判はROMの人た

    ウィンドバード::Recreation - 図で見るブログと2chの違い(とネットイナゴの話)
  • ITmedia News:「mixi疲れ」を心理学から考える

    SNS(ソーシャルネットワーキングサイト)「mixi」で頻繁に日記を書き、多くの「マイミク」と交流している人が、コミュニケーションに疲れ切ってmixiを突然辞めてしまう――「mixi疲れ」とでも呼ぶべきこんな“症状”が、一部のmixiユーザーに見られている。 自ら好んでmixiに参加し、コミュニケーションしているはずなのに、辞めたいほど疲れてしまうのはなぜなのだろうか。SNSのコミュニケーション心理に詳しい野村総合研究所上席研究員の山崎秀夫さんに聞いた。 やめられない、止まらない 「日記を書いてから5分以上レスが付かないとそわそわします。病気かもしれません」――mixiユーザーの中村初生さんは自らを「mixi依存症」と認め、2004年のある日記にこう書いた。当時の中村さんは、ほぼ毎日日記を書き、友人からのコメントにも欠かさず返事していた。 mixi日記は、ユーザーによっては、一度書き始める

    ITmedia News:「mixi疲れ」を心理学から考える