「汚点 横浜フリューゲルスはなぜ、消滅しなければならなかったのか」(フットボール批評)連載開始にあたって 昨年十二月末——。 日本サッカー協会、通称JFAハウス一階にあるバーチャルスタジアムホールで、協会を退任する手嶋秀人さんの講演が行われた。本来はサッカー協会の職員向けだったが、ぼくはそこに紛れ込ませてもらったのだ。 手嶋さんは壇上に上がると、こう切り出した。 「ここにいる人たちは、フリューゲルスのことを知らないかもしれませんが」 手嶋さんは、98年に消滅した横浜フリューゲルス出身である。サッカー協会の職員を対象としながら、こう前置きしなければならないところに、時間の流れを感じた。 時計の針を少し戻す——。 1993年5月にJリーグが始まった直後、ぼくは「週刊ポスト」のサッカー担当となった。 週刊ポストの版元である小学館は、Jリーグのオフィシャルスポンサーだった。看板雑誌であった週刊ポス
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