今からちょうど50年前。1974年8月8日、新日本プロレスの日大講堂大会で、のちの長州力こと吉田光雄がプロレスラーとしてデビューをはたした。 専修大学レスリング部主将で、’72年のミュンヘンオリンピックにも出場した吉田光雄は、新日本プロレスにとって創立以来初めてとなる大物新人の入団。アマチュアでの実績では、吉田より1年早くプロレス入りした、同じミュンヘン五輪代表の全日本プロレス、ジャンボ鶴田よりも上だった。 それだけに新日本のファン、関係者の期待も大きかったが、長州力がプロレスラーとしてブレイクするには、’82年10月に同門の藤波辰巳(当時)に対して反旗を翻した“噛ませ犬事件”まで、じつに9年もの歳月を必要とした。 もともとプロレスファンではなかった長州は、なぜ新日本プロレスに入団したのか。そして長らく中堅として燻りながら、どのようにしてプロレスラーとして覚醒していったのか。あらためて振り
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