全国戦没者追悼式のテレビ中継は15分間だった。 67年に体験した私だがその日の記憶は修正されているようだと気が付いたのは、昨日古い書類を探していて同じ箱に入っていた日記を読み返した時だ。 母の影響で物心ついたときから教会に親しみ、神様の前では人間皆平等と信じ、欧米の童話やシャーリー・テンプルが身近だった。 新聞の一面に鬼畜米英と書かれていてもそうは思えなかった。 進学した学校もアメリカに縁の深い歴史が有った。 それなのに昭和20年八月十六日の日記には、 敗戦の口惜しさ、自分の不甲斐なさ、哀しみと反省の言葉が乱れていた。 一瞬にして日本人の誇りをとりさられた痛恨の涙。 大御心の有り難さに感泣した とも。 今にみていろ 働くんだ 勉強するのだ、 学校に提出する日記ではないから本当にそう思ったのだろう。 ひねくれた解釈をすれば18歳の女の子はそう思わなければ恥ずかしいと思ったかも。 前日の八月十