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韓国と特定アジアに関するendo_5501のブックマーク (5)

  • NET EYE プロの視点:ウォン防衛に必死の韓国

    中国は果たして民主化するのか」――。こう考え込む人が日でもアジアでも増えた。北京五輪であますことなくその力を誇って見せた中国。もし、この国が民主化しないのなら、アジアの人々は「隣の大国が権威主義的体制を捨てぬまま、膨らみ続ける」というあまり幸福でない状況に直面する。 80年代に始まったアジアの民主化 20世紀末ごろまで、「中国もいずれは民主化するだろう」と何となく考える人が多かった。80年代半ば以降、アジアの国々が相次いで民主化したからである。 フィリピン、韓国台湾。90年代に入ってインドネシア。民主化の契機はさまざまだったが、いずれも長期に続いた独裁体制の後に、「公正な選挙」、「言論の自由」と、政治犯の釈放など「人権の保障」が制度的、あるいは実態的に導入された。 これらの中には、初期段階で幼い民主主義が揺れた国もあったが、昔の独裁体制に戻ったケースはない。この事実こそが「ア

  • 李明博氏「独島は韓国の領土、日本もそう考えてほしい」 | Chosun Online | 朝鮮日報

    訪日中の李明博(イ・ミョンバク)前ソウル市長は9日、「政権が変われば一般的な対北太陽政策も修正せざるを得ないだろう」と語った。 李前市長はこの日、公明党の太田昭宏代表、新党日の荒井広幸幹事長らと会い、「金大中(キム・デジュン)前大統領から盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領に引き継がれた太陽政策は、北朝鮮の住民を助けるためのものだった。しかし、結果的には北朝鮮はさらに貧しくなり、核実験にもつながった」と述べた。 李前市長は「北朝鮮の核問題解決のためには、韓国と日が緊密な関係を維持することが重要だが、盧大統領と小泉前首相の時代にはそれを成功させることができなかった。安倍晋三首相が就任した今、韓日間の協調体制がうまくいくことを願う」と話した。 また、独島(日名竹島)および日の教科書問題について、李前市長は「現在、南北の考えで共通しているのは独島問題だけであり、独島は韓国の領土となっている

    endo_5501
    endo_5501 2006/11/11
    だが断る!
  • 痛いニュース(ノ∀`):韓国大使館が対馬関係報道に、東京のTVキー局に圧力をかけ、言論弾圧

    1 名前:番組の途中ですが名無しです 投稿日:2006/07/18(火) 11:44:02 ID:VyJojZyJ0● ?# 韓国大使館が対馬関係報道に、東京のTVキー局に圧力をかけ、局側は韓国大使館からの、抗議を受け入れ、次の番組を まるっきり違う内容で放送した。 今後対馬関係、韓国批判の放送をすると今度は国から抗議するぞと脅された、又関係のコメンテーターを今後使うなとも付け加えた、とこのコメンテーターが関西の番組で昨日述べた。 韓国大使館が日のTV局に、言論弾圧 7/16(ソースは消えてます) http://www.youtube.com/watch?v=RpuB0xsqgKE&feature=PlayList&p=1F5983B974294383&index=6 動画の前部分補足と内容一部分 (勝谷氏の発言) 「対馬が韓国人だらけだ」っていうのを こことよく似た

  • mumurブルログ:「どうせ強制連行されるので、仕方なく自ら日本にやってきた」

    90歳と80歳、目に見えない38度線超えて このたび、5月の連休にあった総聯大阪部の短期祖国訪問団に参加して、父と姉と私の3人で祖国を訪れた。私は2度目の訪問だが、父と姉は初めてだった。 私にはかねてからぜひとも父をウリナラに連れて行きたいとの願いがあった。父は日では親兄弟と離れ一人であった。南にいたその親兄弟も早くに亡くなり、今は北に帰った姉だけが健在で、日にいる弟に死ぬ前に会いたいと待っていたからだ。父は80歳、コモは90歳、実に45年ぶりの再会が実現した。 この団に同行した日の新聞記者に、なぜ今まで会いに行かなかったのかと聞かれた。行かなかったのではない、行けなかったのである。日人には到底理解しがたい、眼には見えない38度線が再会の道を長い間阻んできた。 父は戦前17歳で日に渡って来たが、植民地にされた朝鮮の地で、その当時誰もがそうであったように、幼い頃からひもじさと辛

    endo_5501
    endo_5501 2006/07/12
    「どうせ強制連行されるので、仕方なく自ら日本にやってきた」すげえな!!
  • 特定アジアニュース: 民団団長「河丙?ト」は朝鮮総連のメンバー!

    月刊WILL 7月号 ■総連・民団の歴史的和解は盧武鉉の悪だくみ 加藤 昭・張明秀 総連の"逃げ"の手段 五月十六日の夕刊で、在日大韓民国民団(民団)と在日朝鮮人総連合会(総連)が五十年ぶりに和解したことが大きく報じられました。その夜、いろんな人から私に電話がかかってきた。皆さん怒り心頭でした。 なぜ怒っているのか。理由は二つあります。 一つは、なぜこんなに突然、和解したのか。あまりにも不自然で、急すぎるという理由。もう一つは、今まで激しく敵対していたのに、突然上層部が握手して和解するなんて勝手すぎるという理由。 そして、これには必ず裏があるはずだから、協力するので調べて欲しい、と言ってきたのです。 その翌朝、張明秀さんから電話があった。 張さんはかつて朝鮮総連中央部社会局に在籍し、その後総連新潟部副委員長を務めた人物。いわば北朝鮮や総連組織のウラもオモテも知り尽くした

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