攻城戦における形式の1つ坑道戦について今回は記載しようと思います。ドゥラ・エウロポス遺跡は古代ローマ/ササン朝間の武装や技術の極めて重要な資料であり、そちらの紹介も兼ねています。 戦闘推移だけ読む方は【3世紀のドゥラ・エウロポス攻城戦_城壁補強】まで飛ばしてください。 現在のシリア東部ユーフラテス川に隣接する場所にかつてドゥラ・エウロポスという城塞都市があった。この街は古代パルティア/ササン朝とローマ世界との境界部にある重要な都市だった。それ故何度も奪い合いになり、しばらくローマ領であったが最終的に3世紀にササン朝がローマから奪取した後、街は放棄された。その後大半が砂に埋もれてしまったが、逆にそれが遺跡を破壊から守り現代まで保存する結果となった。 位置:Google Map https://www.google.com/maps/@34.7496364,40.7275686,2563m/d