モース"そば屋の屋台の写真ry推定明治23年頃のそば屋台ry「どんぶり」は、今でいうと茶碗ぐらいの大きさだったことがわかります""明治30年代にはわれわれが見慣れた大きな丼が現れたのではないかと推測"

mobanamamobanama のブックマーク 2018/07/11 16:14

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近代食文化研究会さん、「江戸時代のそば屋の丼鉢は、茶碗ぐらいの大きさなので、発掘されても「茶碗」としか認識されない」

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