エントリーの編集
エントリーの編集は全ユーザーに共通の機能です。
必ずガイドラインを一読の上ご利用ください。
「すべらない話」の不自然さ - 似非トーライ(ese - tori)
記事へのコメント0件
- 注目コメント
- 新着コメント
このエントリーにコメントしてみましょう。
注目コメント算出アルゴリズムの一部にLINEヤフー株式会社の「建設的コメント順位付けモデルAPI」を使用しています
- バナー広告なし
- ミュート機能あり
- ダークモード搭載
関連記事
「すべらない話」の不自然さ - 似非トーライ(ese - tori)
いまから10年くらい前、誰か芸人がエピソード話を披露したあと、ダウンタウンの二人がよくそれを非難す... いまから10年くらい前、誰か芸人がエピソード話を披露したあと、ダウンタウンの二人がよくそれを非難するニュアンスで「それネタやんか!」と言っていたのを誰か覚えていないだろうか。最近はちっとも言わなくなったが。 この場合の「ネタ」とは、その人が持つ、鉄板でウケることが分かっている、自信のある、そしておそらくは何度も披露したことのあるエピソード話という意味である。「持ちネタ」と言い換えてもいい。 当時この「ネタやんか!」の意味がまったくわからなかった。いや言葉の意味としてはわかるのだが、どうしてネタ話をすることが非難されるのか、その価値観がわからなかったのだ。 お笑い論によく出てくる言葉に「笑わせると笑われるは違う」というのがある。ちっとも賛成できないが、便宜上これを「笑う」「嗤う」と書き分けてみる。 その昔、お笑いの人は歌手や俳優よりも立場が低かった。その立場を逆転させたのは例の長者番付と「遺