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ブックマーク / www.enpitu.ne.jp (4)

  • 20年前と今の『はじめてのおつかい』の変化 - 活字中毒R。

    『いつやるか? 今でしょ!』(林修著/宝島社)より。 (『東進ハイスクール』のカリスマ講師・林修さんが2012年に書かれたの一部です) 【ずいぶん前に。高校の先生と現代文の指導について話していたときのことです。生徒の成績表を見ながら、あれこれ話していたのですが、そのとき妙なことに気づきました。 上位の生徒は「明子」、「良子」、「宏美」など普通に読める名前が圧倒的で、特に「子」がつく名前が多いのです。一方、下位になればなるほど「これなんと読むんですか?」と聞かなければならないような「難読」名が増えるのです。かなりの数のクラスがありましたが、すべてそうでした。 「こういう難しい名前の生徒の親は、クレームも多いんですよ」 高校の先生は、そうもおっしゃっていました。僕は、これは単なる偶然ではないと思っています。 親は自分の子どもが立派な人間になることを願って名前をつけます。あくまでも究極の目的は

    etopirika5
    etopirika5 2008/03/01
    「 忙しさというのは、結局のところ、「忙しく」見せかけて、「やりたくないこと」から自分を防御するための偽装にすぎない」
  • 活字中毒R。

    『疲れすぎて眠れぬ夜のために』(内田樹著・角川文庫)より。 【「ほんとうの自分」って何でしょう? ときどき「私、ほんとうの自分を見失っていたわ」とか「ほんとうの自分を取り戻したいんだ」というような台詞がTVドラマから聞こえることがありますが、この人たちが言う「ほんとうの自分」とか「自分探し」とかいうのは、いったい何の話なんでしょう。 ちょっと視点を変えて考えてみましょう。 あなたのお父さんが亡くなったとします。 葬式も終えて、あれこれの後始末も終わった後、ある晩ふと「私の父は、ほんとうはどういう人だったのだろう?」という疑問があなたの脳裏に浮かんだとします。 「父がどういう人間だったのか、私はほんとうに知っていたのだろうか? 私が生まれる前に父は何をしていたのだろう?」という疑問があなたの脳裏に浮かんだとします。 「父がどういう人間だったのか、私はほんとうに知っていたのだろうか? 私が生ま

    etopirika5
    etopirika5 2007/11/21
    赤の他人に語る自分が本当の自分らしい。これは目から鱗
  • 活字中毒R。

    『らも〜中島らもとの三十五年』(中島美代子著・集英社)より。 【私は、頭のいい人が大好きだ。頭のいい人というと誤解を招くかもしれないが、一所懸命勉強して知識を得たいと望む人、努力する人。そういう人をガリ勉と揶揄するのは間違いで、努力する人はやっぱりえらい。だって、人は知らないことは知りたいと思うから。知ることはとても素晴らしいことで、世界がうんと広がる。 らもが亡くなったあと、私と暮らすようになった母は、最近、よく言う。 「あんた、学校に行っているときは賢いと思わなかったけれど、今、こうやってしゃべっていたらものすごい賢いねぇ」 「らもとしゃべってたから、私のIQが上がったんだよ」 私は、にっこり笑ってそう教えてあげる。】 〜〜〜〜〜〜〜 故・中島らもさんの夫人・美代子さんは、著書のなかで、こんなふうに「頭がいい人と付き合うことの魅力」を語っておられます。 僕は基的に「頭がいい人」という

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