シベリアで抑留中に亡くなった父親の死亡通知が、71年ぶりに届いた。現地を訪ねると、父親の埋葬地はゴミ捨て場と化していた。荒れ放題の埋葬地、そして掛け声だけの遺骨収集から見えてくるものは──。 (【71年目の死亡通知】(上)から続きます) 手詰まりの遺骨収集 埋葬地の実態が知られていないということもあろうが、不思議なのは、シベリア抑留というと、政治家もメディアも、ほとんど遺骨収集の問題しか取り上げようとしないことだ。 確かに、墓じまいを考える人が増えているとはいえ、「たとえ骨だって、会いたい。何十年たっても......」と、遺骨がかえってくるのを待ち続ける遺族がいる。 国の遺骨収集団に参加し、「出てきた骨はみんなお父さんの骨だと考えるんです」と、スコップをふるう遺族がいる。 シベリア抑留からの帰国者たちは、残してきた戦友をなんとしても日本に連れ戻したい、と口をそろえる。 そして、「一日でも早
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