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ブックマーク / www.newsweekjapan.jp/worldvoice (6)

  • ウクライナ戦争の陰に隠れてひっそりと 12 年目を迎えたシリア内戦

    3 月 15 日はシリアで初めて反政府デモが確認された日でした。2011 年のことです。いわゆる「アラブの春」は 2010 年の 12 月にチュニジアで始まり、シリアにデモが普及したのはそれから数か月後のこと。なぜこの日付を覚えているかというと、当時私はレバノンに住んでおり、自身のブログの中でヨルダン・シリア・レバノンなどいわゆる Levant エリアの情報を常時アップしていたからです。 その数日後に私はツアーのアテンドの仕事でシリア入りしました。その頃にはデモ参加者がすでに数千人規模に膨れ上がっていました。とはいえデモはまだ南部のダラアに限られた局所的なもので、当のシリア人ですらデモが起きていることに驚いている状況でした。誰もがすぐに終わると思っていました。 私もその時はこれが最後のシリア入りになるとは夢にも思わず...。ダマスカスからツアーを始め、マアルーラ村、ホムスのクラック・デ・シ

    ウクライナ戦争の陰に隠れてひっそりと 12 年目を迎えたシリア内戦
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    facebooook 2022/03/19
    “難民となって国を離れたシリア人が同国民に抱くこのような不安感は非常に根強いです。 「アラブの春」とうたわれましたが、民主化はアラブ世界に根付いていませんし、今後も根付くことはないと思います。”
  • ブラジルの中で生きた愛国心、時と共に明らかになる日本移民史

  • ベトナム3大都市をロックダウン!デルタ株と戦闘するベトナム国民

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    facebooook 2021/08/16
    2021/08/04 “ハノイは連日の60~140人くらいの感染者数が続き、ホーチミンより少ないとはいえ、油断が出来ません。 ダナンは今のところ毎日約50人から多くて70人の感染確認”
  • すれ違っただけで感染!? デルタ株、驚愕の感染力が詳細分析で明らかに...?

    いつになったら収まるのか・・・まったく先が見えない新型コロナウイルスの世界的パンデミック…(Credit:JONGHO SHIN-iStock) シドニー東部地区で、43日間ぶりに新規市中感染ケースが確認され、6月19日時点で6人に増加。クラスターとなり、しばしコロナ・フリーを謳歌していたシドニーも、にわかに騒がしくなってきた。 なぜならば、このクラスターの最初の感染者が、今、「従来型よりも感染力が高い」と言われている『デルタ株』であることが、ゲノム解析で判明したためだ。 デルタ株は、インドで爆発的に感染拡大し、同国を地獄絵図に変えたとも言われる感染力の高い変異株。拡散が速く、これまで感染力が高いと懸念されてきた英国由来の「アルファ株」より、2倍程度の感染力とも言われ、アルファ株と比較して入院リスクが高まることも指摘されている。(参照) さらに、このシドニーのデルタ株感染ケースを詳細に分析

    すれ違っただけで感染!? デルタ株、驚愕の感染力が詳細分析で明らかに...?
  • アラブの裏の顔 - 被害者が加害者にもなり得るという現実:アラブ世界の「現代の奴隷制度」を考える

    イスラエルによるパレスチナ人の住宅立ち退きの詳細が動画で配信されことをきっかけに、「抑圧されるパレスチナ人」のイメージが強まり、世界中でパレスチナ人を支持する方向に風向きが変わりつつあります(以前の記事をご参照ください)。 確かにイスラエルでパレスチナ人は抑圧されています。それは否定のしようがない事実。でも、同じパレスチナ出身の背景を持つアラブが別の場所では抑圧する側に回っていることは、まだ日ではあまり知られていない事実かもしれません。 アラブの裏の顔とは? アラブには裏の顔があります。Human Rights Watch や世界中の人権団体から「現代の奴隷制度」と非難されている外国人労働者への非人間的な扱いです。中東のアラブ諸国、とくに湾岸エリア (サウジ、クゥエート、UAE、オマーンなど) では男性・女性の出稼ぎ労働者が多く働いています。実際、こうした湾岸エリアに旅行すると、ホテルや

    アラブの裏の顔 - 被害者が加害者にもなり得るという現実:アラブ世界の「現代の奴隷制度」を考える
  • ダーウィン空襲 ~日本軍によるオーストラリア本土攻撃

    爆撃を受け、炎上する「ネプチュナ号」, 1942/2/19 撮影  Credit: Northern Territory Library , Peter Spillett Collection PH0238/0885 ハワイ真珠湾攻撃から約2ヶ月後の1942年2月19日。 オーストラリア北部の町ダーウィンに空襲警報が鳴り響いた。 最初の爆撃機が姿を現す。 機体に赤い丸が描かれたおびただしい数の敵機が、あっという間に小さな港町ダーウィンの上空を覆い尽くした。 この最初の空襲のために、チモール海洋上に停泊した4隻の旧日軍空母から発進した攻撃隊は、爆撃機と戦闘機からなる計188機。 オーストラリア側の記録によれば、約40分間に渡る最初の爆撃で、港に停泊していた47隻の船のうち8隻が沈没。市街地へも爆撃が加えられ、いくつもの軍関連及び郵便局や病院などの公的施設が壊滅、ダーウィンの都市機能は失われ

    ダーウィン空襲 ~日本軍によるオーストラリア本土攻撃
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