2017/05/06 「レトロエクスプレス4号」という幻に乗って 自分の人生の大きな転換点であった、ある雑誌との揉め事。 当時、気分だけでなく本当に若造であった自分は何も対処の仕方を知らず、 横浜は関内の弁護士を尋ねることになりました。色々なものがなくなりました。 なぜ、揉めることになったのか。 それは日本という国がエミュレータの後進国であるという 別のライターの主張がどうにも許せなかったからです。 私は知っていた。この国にも技術力のある人たちがたくさんいた事を。 少なくともそれを主張したかった。ただしたかったのです。 ただ、これは同時に「頼まれたことをする」というプロのライターとしては要らないものでした。 転び方もなにも知らない、どうにもこうにも幼い自分が居た、としか言いようがありません。 それ以来、その雑誌はたまに本屋で内容を確認すれど、買うことはなくなりました。 最後に買ったのは私が