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ブックマーク / ekrits.jp (3)

  • 谷口暁彦「ゲームアートにおけるゲーム世界の自律性」 | ÉKRITS / エクリ

    ゲームアートとは何か 「ゲームアート」とは一体なんだろう。「ゲームアート」あるいは「game art」というキーワードで、Googleで画像検索をしてみると、薄靄のかかった幻想的な風景や、いかついライフルや大剣を持って立っている、鎧や甲冑に身を包んだ人物たちのイラストが数多く表示される。その画像の参照先のサイトを閲覧すれば、どれも実際に販売され、流通しているビデオゲームに関係したイラストであることが分かる。 これらのイラストは、ゲームが制作されるなかで、その制作チームに所属するデザイナーたちが、ゲームの世界観や登場するキャラクターを描いた資料であったり、パッケージやWebページのために描いたイラストだ。コンピューターゲームの進歩と認知を目標にする非営利団体、Academy of Interactive Arts & Sciencesが運営するアワード「Into The Pixel」は、そう

    谷口暁彦「ゲームアートにおけるゲーム世界の自律性」 | ÉKRITS / エクリ
    field_combat
    field_combat 2018/05/17
    見せ方をどうするかって意味では現代美術の王道なのかな。メガデモの方がオールドスクールのアートっぽい
  • 大林寛「デザインの「美しさ」について」 | ÉKRITS / エクリ

    見ることは言葉よりも先にくる。子供はしゃべれるようになる前に見、そして認識する。ジョン・バージャー『イメージ — 視覚とメディア』 デザインとアートの同一性 よくデザインは問題を解決するものであり、アートは問題を提示するもので、まったく別物と言われる。しかしこれはどうも疑わしい。 なぜならデザインとアートは、同じプロセスで制作される。どちらも制作者によって目的が決まり、それを元に関係者が集められる。その上で公開される場所が選ばれ、最後に利用者/鑑賞者によって意味付けがなされるところまで、同一性が認められるのだ。 つまりデザインとアートの違いは、登場人物の経験の差異にしかない。制作者の経験によって、制作物の目的が決まり、利用者/鑑賞者の経験を元にして、意味や評価が生まれる。それらの違いはすべて、制作の〈外〉にある産業や商業によって規定されているのだ。 これはデザインとアートが、それぞれ工藝品

    大林寛「デザインの「美しさ」について」 | ÉKRITS / エクリ
  • 浅野紀予「アクセシビリティという意味への問い」 | ÉKRITS / エクリ

    哲学における「アクセス」 いかなる必然性にも確率にも従わず、先行する状態にまったく含まれていない状態を創発させることができる時間。そのような時間を考えるとき、現在は未来をはらんでいるわけではなく、過去の経験から未来を予測することもできない。それは人間にとって厳しい現実となるかもしれないと同時に、わたしたちの未来が、充足理由律から解き放たれることを意味している。浅野紀予「思弁的世界とコミュニケーション」 去年の春に書いた「思弁的世界とコミュニケーション」という記事を、わたしは当初、「詩と経験と因果律」と題していました。記事のなかに「因果」の二文字は出てきませんが、そこで試みたのは、あらゆるものごとに必然的な因果関係があるとする「充足理由律」を疑ってみることでした。 わたしたちは、何かが起きるとその原因を知りたくなりますし、それを次の結果に結びつけようとするものです。つまり、悪い結果が起きた場

    浅野紀予「アクセシビリティという意味への問い」 | ÉKRITS / エクリ
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