「赤ちゃんが二十歳になるまで生きて成人式を見られたらその場で死んでもいいなあ〜」。郊外の豚しゃぶ店で、ひとあし早く食事を終えた母が言った。八月の終わりに弟には子供が産まれる。三番目のタフガキ。弟は「ぜんぜん余裕だろー縁起でもねーなー。それに成人式で死んだら迷惑だろー。俺引き取りにいくのやだわー静かに布団で死んでくれー」と笑い、母も「バーカ。覚悟よカ・ク・ゴ。それくらいの覚悟で二十年生きるつってるの。まあ先のことはわからんから、今夜は肉を食べといたー」なんて笑ってる。六十三歳の母が八十三歳のクソババアになって成人ベイビーを祝うのはそう難しいことじゃないと僕は思っている。弟も。おそらく本人も。僕は、二人の話を笑いながら別の人間の死について考えていた。 六十を超えた母親が病や怪我で倒れる可能性はありうる話で、僕は心のどこかで準備ができている。準備ができる。僕が思いを巡らせているのは僕自身の死につ