3月11日午後2時46分に黙祷せずに歩いていたら知らないおばさんに叱られた。日本人なのに、不謹慎だ、といって。死者を悼む気持ちがなかったわけじゃない。けれども綺麗な言葉ばかりが先行し、東北のガレキの撤去が進まないさまを見ていると、僕の黙祷は形だけになってしまいそうに思えてならなかった。僕は黙祷したかった。でも、できなかった。 黙祷は祈りだ。祈りは、やりきれなさや虚しさ、哀しみを湛えている。祈りは死者を蘇らせられない。祈りは時間を戻せない。それでも祈る。祈ることで人は癒され、明日に希望をもてるから。だから人は祈る。祈ることが人を人たらしめている。人である僕は、おばさんが言うようにあの時間、立ち止まり手をあわせても黙祷するのが正しかったのかもしれない。けれども、いったいどの面をさげて僕は祈ればいいんだ?祈りは言葉だ。僕には3月11日に手向ける言葉がないというのに…。【亡くなった人たちへ。どうか