回転寿司チェーンやコンビニ店内などでの迷惑行為を撮影した動画が相次いで話題になり、波紋が広がっている。インスタグラムやTikTokに投稿されたものが拡散され、警察沙汰となる例も相次いでいる。 こうした迷惑行為といえば、10年近く前にも「バカッター」といった形で注目され、社会問題となった。なぜ、この手の迷惑行為は繰り返されるのか。J-CASTニュースが識者に聞いた。 続発する回転寿司での「悪質イタズラ」 話題になったのは、回転寿司チェーン「はま寿司」の店内において、若い男性がレーンを流れる寿司にワサビを勝手に乗せる動画だ。 2023年1月9日頃にインスタグラムに24時間で消えるストーリーという機能を使って投稿されたものがツイッターに転載され拡散した。運営会社は騒動を受け、警察に被害届を提出したと報じられている。 はま寿司に関しては併せて7日頃に、他の客が注文した商品について2貫のうち1貫を勝
一般社団法人Get in touch「まぜこぜ一座」による公演『月夜のからくりハウス「歌雪姫と七人のこびとーず」』(3月5日公演)の記者発表会が2日、都内で開催された。代表を務める東ちづるや、出演者のダンプ松本、三ツ矢雄二らが出席した。 【写真】その他の写真を見る 三ツ矢と言えば2017年、テレビ番組に出演した際に“ゲイ”であることを告白。“グレーゾーン”と曖昧な言い方にしていた理由は、「兄が会社勤めをしていて、(兄が)会社で何か言われると迷惑がかかるなと思って、それで“グレーゾーンっ”て言ってたんです」と明かし、「兄が定年退職しちゃったんで『もういっか』となって」と説明した。 この日、三ツ矢は改めて「ゲイをカミングアウトしたことで、LGBTの一員になっているわけですけれども、本当に隠したことは一度もなく、ずっと子どものころから、ゲイをみなさんに公表しておりました」と告白。
44年前に生まれた「渋谷の店」が閉店 当時のファーストキッチンはどんな店だったのか:週末に「へえ」な話(1/3 ページ) ウェンディーズ・ファーストキッチンの渋谷センター街店が幕を閉じる。1978年にオープンしたこの店は、なぜ閉店するのか。当時、どのような店だったのかというと……。 ガラガラガラガラガラ――。1月22日、ウェンディーズ・ファーストキッチンの渋谷センター街店が幕を閉じる。 「あのへんはファストフードの激戦区だからなあ。大手のハンバーガーチェーンに負けたんでしょ」「ファストフードだけでなく、飲食店が多すぎ。その影響を受けたのでは」などと思われたかもしれないが、いずれも違う。ビルの建て替えにともなって、閉店することになったのだ。 この店が誕生したのは、1978年5月のこと。池袋の超高層ビル「サンシャイン60」ができたり、24時間テレビ「愛は地球を救う」が放送されたり、キャンディー
また、銀座から昭和が消える。三愛ドリームセンター by... tokuhain.chuo-kanko.or.jp
銀座4丁目の交差点には「和光」をはじめとしてシンボリックな建物が集まっているけれど、北西側の角に建つ「三愛」の円筒形のビルも銀座風景を象徴する物件、といっていいだろう。昭和7年(1932)に竣工した和光(服部時計店)のビル(2代目)ほど古くはないものの、三愛ドリームセンターと呼ばれるこの建物が誕生したのはオリンピックより1年前の昭和38年(1963)の年頭だから、もう半世紀以上の時が経つのだ。 当初、上層部のネオン看板は三菱のダイヤマークだったが、いまやリコー(RICOH)のロゴがすっかり定着した。そう、カメラや複写機器で知られるリコーとファッションの三愛の創業者が同じだということを知る人は意外と少ない(僕も関係を知ったのは割と最近のことだ)。 実は、友人の縁で先日、市村氏の義妹にあたるご婦人(市村和子さん)と対面する機会を得た。92歳になる彼女が暮らすのは、市村清の住まいがあった大田区の
変わらず変わり続ける銀座のアイコン今回の行き先 三愛ドリームセンター東京・銀座のイメージといえば、多くの人が思い浮かべるのは「銀座4丁目交差点」ではないか。銀座通りと晴海通りが交差する場所だ。そして、この交差点の“顔”として頭に刷り込まれているのが「和光本館」と「三愛ドリームセンター」だろう。この2つの建物、デザインは全く違うのに、銀座に人々を迎え入れる“ゲート”のように見えてしまうのは私だけだろうか。 今回の目的地は、後者の「三愛ドリームセンター」の方だ。向かい合う和光本館は重厚な石張りの壁で、“いかにもレトロ”な細かい窓割り。戦前の1932年(昭和7年)に完成した建物だ(当初は服部時計店)。設計したのは渡辺仁(1887~1973年)という建築家で、上野の東京国立博物館本館や、品川にあった原美術館(原邦造邸)なども設計した。 写真1 三愛ドリームセンター見上げ一方、今回の主役である三愛ド
「三愛ドリームセンター」ができる前は何があったの? 「三愛ドリームセンター」ができる前は、前身となる 2 階建ての「三愛ビル」がありました。※ 1946 年竣工 また、「三愛ビル」建築前の「銀座四丁目交差点」西角には、「第六十九国立銀行 銀座支店」がありました。 閉館 「三愛ドリームセンター」は、2023 年 1 月 31 日に閉館しました。 「三愛ドリームセンター」があった場所は、現在どうなっているの? 「三愛ドリームセンター」があった場所では、現在、建て替えのための解体工事が行われています。 解体工事期間の予定 2023 年 3 月 から 2025 年 3 月まで 年表 1945 年(昭和 20 年) 11 月 1 日 「理研感光紙株式会社」(現 株式会社リコー)を創業した「市村清」は、「人を愛し、国を愛し、勤めを愛す」の三愛主義をモットーに、事務用品販売のリコー総代理店となる「三愛商
銀座の「顔」建て替え 三愛ビル、3月から解体―リコー 2023年02月01日16時59分 建て替えられる三愛ドリームセンター(中央)=1日午後、東京都中央区 リコーは1日、東京・銀座の老舗ビル「三愛ドリームセンター」を建て替えると発表した。3月から約2年をかけて解体する。1963年1月の開館以来、ガラス張りで円筒形という特徴的な外観で銀座のランドマークとして親しまれてきたが、老朽化で姿を消すことになった。 〔写真特集〕中銀カプセルタワービル 三愛ビルは地上9階、地下3階建てで、リコー創業者の市村清氏がグループのシンボルとして建設した。銀座三越や旧和光本館と同じ銀座4丁目交差点の一角に位置。60年にわたり、喫茶店やアートギャラリーなどさまざまな施設が入居してきた。 新たなビルは2027年の竣工(しゅんこう)を目指しており、詳細は今夏をめどに発表する予定。リコーの山下良則社長は談話を発表し、「
株式会社リコー(社長執行役員:山下 良則)は、東京・銀座4丁目交差点に面した三愛ドリームセンター(住所:東京都中央区銀座5-7-2)の建て替えを決定しましたのでお知らせいたします。 三愛ドリームセンターは竣工から60年が経過しており、建物の老朽化が進んでいることから、安全性の確保と社会的責任を考慮し、建て替えを目的に解体いたします。解体工事の期間は2023年3月から約2年間を予定しています。 “はたらく”が時代と共に変化し続けるなか、この変化に向き合い、共創を生む場所として、創業者・市村清の想いを宿すこの場所からさまざまなメッセージを発信することで、銀座の街にふさわしい新たなランドマークを構築します。なお、新ビルディングの設計者として小堀哲夫氏(小堀哲夫建築設計事務所)を選定しました。「CIRCULAR(サーキュラー) -めぐり めぐる よろこび-」をコンセプトに現在のビルのレガシーを継承
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