梶原景時終焉の地・梶原景時親子供養塔(梶原山公園・静岡市清水区) 日本史上初の本格的な武家政権である鎌倉幕府では、創設者頼朝の源氏の血統は三代で途絶え、継承されなかった。 その断絶に至るまでの幕府内の権力闘争の歴史を描いた1冊、坂井孝一氏の『源氏将軍断絶』より、二代将軍頼家の補佐として集まった「宿老の13人」について触れた一節をここで紹介する。 ※本稿は、坂井孝一著『源氏将軍断絶』(PHP新書)の一部を抜粋・編集したものです。 宿老の13人 ここでは、頼家を補佐する宿老13人についてみてみたい。 武士の御家人が北条時政、同義時、三浦義澄、和田義盛、梶原景時、比企能員、安達盛長、足立遠元、八田知家の9人、吏僚である文士の御家人が中原親能、同広元、善信、二階堂行政の4人、文武のバランスが取れた構成である。 このうち政所吉書始にも出仕した8人が頼家を補佐する主要メンバーといえよう。吉書始に出なか