シンポジウム 《シオニズムの解剖――現代ユダヤ世界におけるディアスポラとイスラエルの相克》 ◆日時:2010年10月9日(土)、10日(日) ◆会場:東京麻布台セミナーハウス(大会議室) 東京都港区麻布台1-11-5 TEL: 03-3582-2922 地下鉄日比谷線・神谷町下車E1出口(桜田通りを東京タワー方面へ徒歩3分) ◆主催:大阪大学グローバルCOE「コンフリクトの人文学国際研究教育拠点」 共催:東京大学グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター」(UTCP) 後援:京都ユダヤ思想学会 ◆参加無料・事前登録不要 --------------------------------------------- ◆概要 イスラエル/パレスチナ紛争は、現代世界が抱えるもっとも困難なコンフリクトの一つである。本シンポジウムでは、紛争の一方の当事者であるユダヤ人社会内部に見られる多様性
【エルサレム=加藤賢治】イスラエル軍は25日未明、パレスチナ自治区ガザを空爆し、武装勢力の武器倉庫と、同国への侵入用トンネル2か所を破壊した。 ガザから24日、迫撃砲弾12発が発射され、7発がイスラエル領内に着弾したことへの報復措置。 イスラエル軍による5月末のパレスチナ支援船強襲事件後、ガザ空爆は初めて。
Posted by:情報センター・スタッフ 南アフリカのアパルトヘイト政権下を生き、アパルトヘイトおよびそれが意味するすべてのものから自由になるために闘った私たちにとって、パレスチナは多くの点で、未だ終わらぬ私たち自身の闘いなのです。 ファリッド・エサック サッカー・ワールドカップ南アフリカ大会の開催を受けて、南アフリカに注目が集まるとともに、これを機にアパルトヘイトに興味を持たれた方も多いかもしれません。 そこで今回は、南アフリカのアパルトヘイトと同時にイスラエルのアパルトヘイトにも思いをはせるべく、南アフリカで反アパルトヘイト運動を経験したファリッド・エサックさんが、いまなおアパルトヘイト下にあるイスラエル/パレスチナを訪れたときに書いた「パレスチナの皆さんへ、ある南アフリカ人より」という文章を紹介します。 ファリッド・エサック Farid Esack 2009年4月25日 親愛なるパ
ガザ支援船団の人々の証言 http://www.youtube.com/watch?v=Sx6soaDTYQk 襲撃されたガザ支援船乗員へのインタビュー http://www.youtube.com/view_play_list?p=9FD923CB3063C89A 自由船団に乗船していたイスラエル国会のアラブ系議員、ガザ封鎖の解除を訴え http://www.el.tufs.ac.jp/prmeis/html/pc/News20100603_160352.html http://www.youtube.com/watch?v=Sx6soaDTYQk#t=5m23s ガザ自由船団攻撃・現場の証言(イスラエル国会ハニーン・ズアビー議員) http://groups.yahoo.co.jp/group/palestine_sis/message/204 イスラエルのアラブ系議員たちに強まる逆風
支援物資を積んだ「レイチェル・コリー(MV Rachel Corrie)に接近するイスラエル海軍の船艇(2010年5月5日撮影、イスラエル国防軍提供)。(c)AFP/IDF 【6月6日 AFP】イスラエル海軍は5日、パレスチナ自治区ガザ地区(Gaza Strip)に向かっていた支援船の第2陣「レイチェル・コリー(MV Rachel Corrie)」を拿捕し、約5時間後にイスラエル南部のアシュドッド(Ashdod)港に入港させた。 イスラエル側は、アシュドッドの北西約21カイリ(約39キロ)の公海上で合意のうえで船に乗り込んだのであり、強襲したのではないとしている。支援船には乗員8人とパレスチナを支持する活動家11人が乗っていたが、同船に乗り込んだ軍の要員は一切抵抗を受けなかったという。 作戦はイスラエル海軍の船艇が支援船を包囲した上で、日の出の直後に始まった。作戦開始直後にすべての通信が途
【ニューヨーク=丹内敦子、ワシントン=望月洋嗣】ガザ支援船団拿捕(だほ)事件をめぐり、国連人権理事会(ジュネーブ)は2日、イスラエル軍の攻撃による結果が国際法に違反するかどうかなど真相を究明するため、国際的な独立調査団を派遣することを盛り込んだ決議を賛成32、反対3、棄権9で可決した。 決議は、イスラエル軍による攻撃を「最も強い言葉で非難する」としている。また、ガザなどの封鎖をすぐに解除するよう求めている。 採決では、米国のほか、イタリアとオランダが反対。日本や英国、フランス、韓国などが棄権した。 一方、米国が反対した理由について、国務省のクローリー報道官は2日の定例会見で、「決議は全責任をイスラエルに負わせている。早すぎる判断で、不適切だと考えた」と述べた。また、事実関係の調査を優先するべきだとの立場を強調した。
イスラエル南部ベエルシェバ(Beersheva)からテルアビブ(Tel Aviv)近郊のベングリオン空港にバスで移送される、支援船で拘束された活動家ら(2010年6月2日撮影)。(c)AFP/ALBERTO DENKBERG 【6月3日 AFP】国連(UN)の潘基文(パン・キムン、Ban Ki-moon)事務総長は2日、イスラエル軍がパレスチナ支援船を強襲し死傷者が出た事件を受け、イスラエルに対しガザ地区(Gaza Strip)の封鎖をただちに解除するよう強く求めた。 事務総長は会見で、事件の背景にはイスラエルによる「非生産的、持続不可能で間違った」長期にわたるガザ地区封鎖措置があると指摘。支援物資を運搬していた船団を特殊部隊が攻撃したことについて、イスラエル政府は「子細漏らさず事情を説明しなければならない」と語った。 また、国連安全保障理事会(UN Security Council)が出
Posted by:情報センタースタッフ 5月31日、封鎖されたガザに向けて支援物資を運ぶ「ガザ自由船団」の船がガザ沖の公海上で、イスラエル軍に急襲され、数十人が殺傷されるという事件が起きました(イスラエル政府は殺した人数を9名と1日に発表。負傷者は30人程度。ただし、氏名等は明らかになっていません【追加】非公式ですが、ハイファの病院が死者数は25~26人と出したとイスラエル人が情報をくれました。確認はとれていません)。 襲われた船団は、「フリー・ガザ・ムーブメント」が主にトルコの団体と人道的支援として組織し、1万トンの支援物資と、政治家や元軍人などを含む50カ国700人ほどの活動家、ボランティアを載せて、封鎖で苦しむガザに向かっているところでした。支援物資の中身は、主に浄水装置や建設資材、それに教育資材などで構成されていました。 船団はイスラエル特殊部隊による急襲を受けて、死傷者を出し、
トルコのテレビ局Cihan News Agencyが放映した、ガザ地区へ支援物資や活動家らを乗せて向かうトルコの支援船団のうちの1隻「Mavi Marmara」号に乗り込んだイスラエル海軍兵士(2010年5月31日撮影)。(c)AFP/CIHAN NEWS AGENCY 【5月31日 AFP】(一部更新、写真追加)イスラエルによって封鎖されているパレスチナ自治区ガザ地区(Gaza Strip)へ支援物資や援助活動家らを運んでいた支援船団6隻のうちの少なくとも1隻が31日、イスラエル特殊部隊の強襲を受け、イスラエル軍の発表によると少なくとも10人が死亡した。 船団結成に関与したトルコの人道支援団体IHH(Foundation of Humanitarian Relief)のガザ支部はAFPの電話取材に対し、強襲を受けたのはトルコ船籍の船で、トルコ人を中心に15人が死亡したと語った。 一方、パ
(エルサレム) - ヒューマン・ライツ・ウォッチは本日発表の報告書で、イスラエルは2009年のガザ紛争時に起きた違法な民間財産の破壊について調査すべきであると述べた。加えて、イスラエル政府によるガザ地区の封鎖が破壊された住居の再建を妨げている事実を指摘、その解除を求めた。 報告書「すべてを失って:ガザ紛争時のイスラエルによる民間財産の違法破壊」(全116ページ)は、2008年12月から2009年1月にかけて3週間にわたり行なわれたイスラエル軍の「キャスト・レッド(Cast Lead)」作戦(=ガザ侵攻)の際、イスラエル軍がガザの民間人居住区を広く破壊した12事件を詳細に調査した報告書。破壊されたのは、住居、工場、農場、温室などで、いずれも正当な軍事目的もないのに破壊された。ヒューマン・ライツ・ウォッチの調査は、物的証拠、衛星画像、複数の目撃証言を基にして行なわれた。破壊行為が行なわれた際に
不謹慎かもしれない。今、心配すべきなのはパレスチナの人々のことだろう。でも、イスラエル、100年後にはどうなっているんだろうかと想像しないではいられない。なんでそうなるのかといえば、私はイスラエルとパレスチナに関してはたまに新聞で読んだ記事の断片くらいしか知識がないからなのだろうけど。 イスラエルに関してウェブ上で見つけた記事ではこんなのが印象に残ってる。 2003年6月、関曠野 アメリカの没落 (その三)の一節。イラク戦争であからさまになったアメリカ没落の兆候について述べられた文章、その最後の段落。 アメリカは常に自らを神に祝福された例外的な国とみなしてきた。そしてドル、ミサイル、石油のシステムの危機がアメリカの没落を加速化している今、この例外主義は国際社会の例外的なアウトローになるという選択へと発展した。この選択は当然国際社会の反発や白眼視を招く。だがそれだけに世界平和を執拗に撹乱しつ
カタールの日刊紙Al-Sharq編集者ハルミ(Jaber Al-Harmi)は、2010年2月21日付掲載記事でパレスチナ自治政府(PA)とその指導部の倫理上金銭上の腐敗を激しく攻撃し、この腐敗を黙認するアラブ諸国を非難した。 以下その記事内容である※1。 人民のためのPAが人民から奪い、反人民の謀議にふける 打ちのめされたパレスチナ人は毎日騒々しいスキャンダルで水をぶっかけられたような思いをする。スキャンダルの主役は所謂パレスチナ民族評議会(PNC)の御歴々である。パレスチナ自治政府関係者の腐敗の話を耳にしない日はない。倫理観の欠如、汚職、収賄等々が蔓延し、PAは土台まで腐ってしまった。この腐敗と戦い粛正するような人は誰もいない。その任にあたるべきPA指導者の大半が腐敗のパートナーであるからだ。 最近ひとつのスキャンダルが浮上した。ドバイでハマスの指導者マブーフ(Mahmoud Al-M
ガザ自由行進に参加しているヘディ・エプスタインさんのインタビュー (翻訳:岩田渉) ホロコースト生存者がパレスティナ人権活動家になったわけ ホロコーストの生存者であり、確信的なパレスチナ人権活動家でもあるヘディ・エプスタインは一部の人々にとっては矛盾しているように見えるかもしれない。 1924年、ドイツのフライブルクに生まれたエプスタインは、14歳の時にナチスの迫害から逃れ、Kindertransport(子ども輸送団)を通し てイギリスへと渡った。その後1948に米国へ移り住んで以来、平和、人権の擁護を主張し続けてきた。 2001年にイスラエル発祥の反戦グループ、"Women in Black"(黒衣の女性達)の支部をセントルイスで立ち上げたエプスタインは、2003年にヨルダン西岸地区を訪れたのを契機にして、パレスチナ権利擁 護の活動を始めることとなる。この十年間に及ぶ活動の節目に彼女は
パレスチナ問題あまりにすばらいエントリなのでこちらで一部転写・紹介させていただきます。ほくと未来ネットワークさんより「ガザ自由行進に参加するホロコースト生存者は語る」です。 80歳のおばあさんがテロリストですか?性器に爆弾を隠しているとでも言うんですかね?近い将来にはないでしょう。私は執念深い楽天家です。そしていつか平和は訪れます。ただその前には多くの変化が必要です。この「私は執念深い楽天家です」というところに感動してしまいました。力のある言葉だなぁと思います。私もそんな風にありたいなぁと思います。 どのようにしてイスラエル−パレスチナ問題に関心を持ちましたか? 「私はドイツに生まれたユダヤ人です。アドルフ・ヒットラーが権力の座についた時、両親はドイツが家族を養うのに適当ではないと早い段階で察知しました。世界のどこへでも喜んで行く気であった両親が唯一行くことを拒んだのがパレスチナです。彼ら
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