昨年、室井光広の批評集『わらしべ集』を読んだら、そこに通底するマジック・ミラー的世界像にガツーンと衝撃を受けた。 「マジック・ミラー的世界像」とは、私が仮に名付けたものだが、たとえば柳田國男を論じた次のような文章におけるモデルだ。 「この世の中には現世と幽冥、すなわちうつし世とかくり世というものが成立している。かくり世からはうつし世を見たり聞いたりしているけれども、うつし世からかくり世を見ることはできない」(「ワラシベ長者考」) つまり、あの世からこの世は見えているが、この世からあの世は見えない、という、非対称的な関係である。 私にはこの関係が、この書全体を貫くモチーフであるように思われてならない。それはたとえば創作における「古典」と「現代」との関係において、次のようにも言い換えられうるのではないか。 先祖が限りなく反復作業した同じ土地が男の前にある。しかし、この男がこの作業をこの土地です