泉鏡花記念館 〒920-0910 石川県金沢市下新町2番3号 TEL(076)222-1025 FAX(076)222-1040 MAIL:kyoka@kanazawa-museum.jp 展示日程の一覧 金沢文化振興財団
「高野聖」「婦系図」「歌行燈」「天守物語」をはじめ数々の名作で知られる泉鏡花は、1873年(明治6)、金沢で生まれました。 硯友社の尾崎紅葉に師事して作家としての第一歩を踏み出し、苦節を経ながら絢爛とした独自の文学を築き上げました。 その妖美で幻想的な作品群は、今なお多くの読者を魅了し続けています。 生誕140年を記念して開催する今回の展覧会では、鏡花の66年の生涯をたどるとともに、多面的な鏡花作品から代表的な小説、戯曲をクローズアップし、鏡花が紡ぎ出した〈ものがたり〉の水脈をたどります。
泉鏡花は、36歳から65歳で亡くなるまでの約30年間を麹町土手三番町、下六番町で過ごした千代田区にゆかりの深い文学者です。 本展は、鏡花生誕140周年を記念し、これまで泉鏡花の生涯や作品にあまり馴染みのなかった方にも楽しんでいただける展示です。鏡花の人生に影響を与えた人物や出来事を追いながら、その人物がモデルとして描かれている作品や、その人物が関わった作品をパネルで紹介します。また、7月29日~8月28日の期間限定で、石川近代文学館所蔵の鏡花の直筆葉書や、俳優喜多村緑郎の「鏡花さんの思出」の原稿など貴重な資料も展示します。 鏡花の人生や交友関係を知ることで、作品の味わいも変わってくることでしょう。また、生誕140年を記念して、各地で展覧会やイベントが開催されます。それらを楽しむためにも、鏡花の生涯と作品をふり返ってみてはいかがでしょうか。 関連展示『絵本 化鳥』原画展 場所:千代田図書館9
遂に普及版「絵本 龍潭譚」完成!! (2023年9月7日) 『繪草子龍潭譚』販売終了のお知らせ (2017年4月30日) 京都・恵文社一乗寺店にて絵草子「龍潭譚」が販売されました。 袋を開けているものを置いていますので、手にとって中身を見ることができます。まずは7月末までの展示販売となります。どうぞお立ち寄りください。 (2015年7月8日) お待たせいたしました。商品完成し、現在在庫ございます。ご注文は当サイト内「ご注文・お問い合わせ」からお願いいたします。また随時、在庫状況等ご案内いたします。 (2015年5月18日) 続きを読む 著作者: 泉 鏡花 挿 絵: 中川 学 仕 様: 本誌/A4判 縦型(H297×W210×T15mm) パッケージサイズ/H400×W300mm 全編52頁/フルカラー/真空パッケージ オリジナルCD封入(全10曲):楽曲制作/山口 智 装 幀: 錫箔+題字
舞台は逗子か葉山のあたり。かつて一家五人が急死したという 《黒門の邸》 に、葉越明という若者が逗留している。そこへ旅の修行僧小次郎が泊っている。夜、明が眠っているとき、小次郎の前に秋谷悪左衛門と名乗る妖怪が現れ、理由あって明を追い出したいのだが、なかなか立退かぬと語る。 「……顔容(かおかたち)に似ぬその志の堅固さよ。唯お伽(とぎ)めいた事のみ語って、自からその愚(おろか)さを恥じて、客僧、御身にも話すまいが、や、この方(ほう)実は、もそっと手酷い試(こころみ)をやった。 あるいは大磐石(だいばんじゃく)を胸に落し、我その上に踏跨って咽喉を緊(し)め、五体に七筋の蛇を絡(まと)わし、牙ある蜥蜴(とかげ)に噛ませてまで呪うたが、頑として退かず、悠々と歌を唄うに、我折れ果てた。 よって最後の試み、として唯(たつ)た今、少年(これ)に人を殺させた――即ち殺された者は、客僧、御身じゃよ。」 泉鏡花
『売色鴨南蛮』 は大正9年に発表された短編小説。 冒頭の場面は、雨の万世橋駅。「例の銅像」 のこともちゃんと書かれている。 威(おどか)しては不可(いけな)い。何、黒山の中の赤帽で、其処に腕組をしつつ、うしろ向きに凭掛(もたれかか)っていたが、宗吉が顔を出したのを、茶色のちょんぼり髯(ひげ)を生(はや)した小白い横顔で、じろりと撓(た)めると、 「上りは停電……下りは故障です」 と、人の顔さえ見れば、返事はこう言うものと極めたように殆ど機械的に言った。そして頸窪(ぼんのくぼ)をその凭掛った柱で小突いて、超然とした。 「へッ! 上りは停電」 「下りは故障だ」 響(ひびき)の応ずるがごとく、四五人口々に饒舌(しゃべ)った。 「ああ、ああ」 「堪(たま)らねえなあ」 「よく出来てら」 「困ったわねえ」と、つい釣込まれたかして、連(つれ)もない女学生が猪首(いくび)を縮めて呟いた。 が、いずれも、
『女客』 は明治38年に発表された短編小説。 当家の主人 謹さんは母親と二人暮らしの独身者。そこへ上京した親戚の女 お民が幼子を連れて逗留している。謹さんとお民は同い年。最初は何気ない世間話をしているが、次第に謹さんの愚痴話になる。暮らしが貧しく、母親を満足に食わせることも出来ずに、濠から身投げしようかとまで思いつめたのだと、しかし、その時にお民のことを思い起こして生きてきたのだと、謹さんは語る。 一方、お民もまた死にたくなることがあると云う。 あるじは、思わず、火鉢なりに擦り寄って、 「飛んだ事を、串戯(じょうだん)じゃありません、そ、そ、そんな事をいって、譲(ゆずる・小児の名)さんをどうします」 「だって、だって、貴下が、その年、その思いをしているのに、私はあの児を拵えました。そんな、そんな児を構うものか」 とすねたように鋭くいったが、露を湛(たた)えた花片(はなびら)を、湯気やなぶる
泉鏡花の怪奇小説の最高峰とされる 『高野聖』(明治33年)を再読。 語り手の 《私》 が旅先で出会った僧侶が語る昔話という体裁の短編小説である。鏡花の小説はとかく観念的とされ、抽象的で曖昧な描写が特徴的なのだけれども、本作の特に前半は、描写が気持ち悪いほど具体的である。 若き日の旅僧が飛騨から信州へ向う道中、ちょっとしたことから薬売りの男にからかわれる。途中、道が二股に分かれているところがあって、片方は山道、もう片方は増水した川を渡る道である。先の薬売りはさっさと山道を登って行ってしまう。そこへ地元の百姓が通りかかり、山道には決して入ってはならないと云う。しかし、旅僧は薬売りを追って山に入る。 すでにホラー小説の王道パターンである。だが、本当にすごいのはここからだ。 旅僧の苦手な蛇が出る。さらに、樹上からは山蛭が雨のように降ってくる。 肱をばさりと振ったけれども、よく喰込んだと見えてなかな
中央公論社の「潤一郎ラビリンス」の洒落です。ハイ。 ついでに、わたしはこの「ラビリンス」と「ジュンイチロウ」のもつ「ン」の重なりが気持ちよい。 さらには「迷宮」の語の妖しい魅力と、それが小説の「構造的美観(建築的美観)」というものに執着した谷崎を天才ダイダロスに喩えるようで、そしてまたそこに彷徨うミノタウロスの生死の悲劇的美しさをも思わせて、とてもとっても大好きなのです(実は、タニザキこのシリーズでは読んでないのだ。いつか買うぞ!) さて。 あの大タニザキに「俺おま」を感じてやまない今日この頃、 みなさま、いかがおすごしでしょうか? (って、わたしってば、なにスットボケようとしてるんですか!?) なにを言いたいかと申しますと、 あまりにも、あまりにも、 谷崎の「饒舌録」と「藝術一家言」が面白いので、 「みんな、読んで~~~~~~~っ!!」 ってお願いしたい、ただそれだけです。 ええ、ほんと
鏡花百物語集―文豪怪談傑作選・特別篇 (ちくま文庫) 作者: 東雅夫出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2009/07/08メディア: 文庫購入: 2人 クリック: 3回この商品を含むブログ (10件) を見る 『鏡花百物語集』 には座談会が2本掲載されていて、一つは昨日引用した 「幽霊と怪談の座談会」(『主婦之友』 昭和3年)、もう一つは前後するが 「怪談会」 (『新小説』 大正13年)である。『主婦之友』 のほうには、「一同は一層緊張して、固唾を呑んだ。」 といったト書きが添えられていて、読み物としてうまく編集されていると思う。ところが、『新小説』 の座談会にはこういうのがなくて、そのぶん語り手の 《語り》 を十分堪能できるようになっている。 まずは、泉鏡花の 《語り》 を聞いてみることにしよう。 斎藤*1 泉さんには、何かおありのようですね。 泉 それがあいにくでお恥しいんですがね
鏡花百物語集―文豪怪談傑作選・特別篇 (ちくま文庫) 作者: 東雅夫出版社/メーカー: 筑摩書房発売日: 2009/07/08メディア: 文庫購入: 2人 クリック: 3回この商品を含むブログ (10件) を見る 大正から昭和初期にかけて、泉鏡花を中心に行われた 「怪談会」 という催しがあった。本書は当時の 「怪談会」(座談会形式)および小説・随筆、新聞コラム等を収録したアンソロジーである。 泉鏡花氏の怪談好きは今更いうまでもない。五六年前までは、殆ど毎年のように怪談会を自ら催しもし、万障を排して出席もした。そして人一倍の怖がりでありながら相当に仕掛ものをも喜んでいたのである。が、その鏡花氏が近年極端に仕掛ものを嫌うようになった。仕掛ものをすると、きっと不祥事があるという理由である。 「怪談聞書」 「都新聞」 大正12年8月19日〜9月1日掲載 本書の三分の一を占める白眉の座談会は、総勢約
谷崎潤一郎が随筆 『文壇昔ばなし』(昭和34年発表)*1に、こんな話を書いている。 京橋の大根河岸あたりだったと思う。鏡花のひいきにしている鳥屋があって、鏡花、里見、芥川、それに私と四人で鳥鍋を突ッついたことがあった。健啖で、物を食う速力が非常に速い私は、大勢で鍋を囲んだりする時、まだよく煮え切らないうちに傍から傍から喰べてしまう癖があるのだが、衛生家で用心深い鏡花はそれと反対に、十分によく煮えたものでないと箸をつけない。従って鏡花と私が鍋を囲むと、私が皆喰べてしまい、鏡花は喰べる暇がない。たびたびその手を食わされた経験を持っている鏡花は、だから予め警戒して、「君、これは僕が喰べるんだからそのつもりで」と、鍋の中に仕切りを置くことにしているのだが、私は話に身が入ると、ついうっかりと仕切りを越えて平げてしまう。「あッ、君それは」と、鏡花が気がついた時分にはもう遅い。その時の鏡花は何ともいえな
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