岸本がフランスに行っている間、節子は出産以外に、乳房の手術(乳腺炎?)、手の病気(「両手にひろがった水虫のようなもの」と書かれている)を患い、相当具合が悪くなっていた。 岸本帰国後の8月、彼は亡き妻の墓参りのため、大久保へ赴く。連れは二人の息子(泉太と繁)、節子とその弟(一郎)である。 ……泉太は一郎や繁と並んで歩いて行きながら、 「あゝ、これが僕の生まれた大久保だ。」 とさもなつかしそうに言った。節子は、ちょうど同じくらいな背にそろった三人の少年の後ろ姿をながめながめ、すぐあとから静かに続いて行った。 以前に比べると寺の付近もずっと変わっていた。「叔母さん」へあげるための花を買って行きたいという節子を花屋の店頭(みせさき)に残して置いて、岸本は一足先に寺の境内にはいった。やがて節子は白い百合なぞの自分で見立てたのを手にさげて来て、本堂に続いた庫裏(くり)の入り口のそばで皆と一緒になった。