木村 東介 (1906-1998) 純粋美術にこだわり、反骨と情熱のイベント・フロデューサー 明治34年4月8日、木村忠三・よしの長男として、米沢市門東町に生まれる。大正11年、主婦の友社主催の懸賞金付小説に応募し、賞金70円の第一席入賞。文学を志し上京、東京評論社に就職、大正13年、郷里の洋画家7人(椿貞雄、他)で「七渉会」を作り、顧問に迎えた岸田劉生との出会いが美術商への道しるべとなる。昭和11年、湯島天神上に「羽黒洞」を開業。日本橋白木屋で「奥州げてもの展」を開催、大成功をなす。昭和17年、長谷川利行の絵350点を米沢、赤湯に疎開。昭和20年、空襲で店舗、自宅を消失したが、昭和25年、湯島天神下に美術商「羽黒洞」を再開。後に池之端に「不忍画廊」を開店した。昭和36年、「日本美術オークション協会」を設立し、日本初の公開オークションとなる。昭和42年、映画「日本の華・浮世絵肉筆」を完成。