自由、自立、自己決定。「個人」という言葉にはそんなイメージがつきまとう。だが、私たちはむしろ、様々な物事との関係に拘束されながら生きているのではないか? だとすれば、思い通りにならない〈生〉をデフォルトととらえることで、おもいがけない世界が見えてくるかもしれない。在野の研究者による、人間観と身体観を問い直す哲学的試み。 また、多くの場合わたしたちのあずかり知らぬところで、しかし最終的にはわたしたち自身のために、絶えず形成過程にある任意の「わたしたち」のために、わたしたちは互いに縛りつけられ、受苦を蒙る恐ろしげな提携関係を結んでいる。 ――ジュディス・バトラー1 この生 『肉体のアナーキズム』の文体に飽きてやおら捨て置き、『世界の共同主観的存在構造』をふと手にとって、そのまま読んでしまう。おもしろければそのまま読み切ってしまうこともあるし、飽きたらまた別の本を手にとり、まるでそれが続編である
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