芸術と嘘 芸術とは嘘をつく技術である、という言説は、たびたび認められる。それは芸術を真実から遠ざけるための批判ともなり得るものではあるが、むしろそこにこそ芸術の真髄を見る見解が、近代フランスに登場する。17世紀の色彩派の画家ロジェ・ド・ピールは、ルーベンスの作品に認められる誇張された色や光の表現が「化粧」(白粉や虚飾を意味するフランス語「fard」)に他ならないと認めながらも、この「化粧」による理想化を施し、鑑賞者を欺くことこそ、絵画の本質であるとした*1。ジャックリーヌ・リシテンシュテインが1987年の論文「表象をメイク・アップする――女性性のリスク」で指摘しているように、絵画や言語の表現を化粧術に喩えるこうした言説は、伝統的には女性嫌悪に根ざすものであった一方で、17世紀以降のフランスで化粧術としての芸術を肯定的に捉える傾向が登場したことは、宮廷文化における化粧の評価や、文学における女
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