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ブックマーク / keisobiblio.com (15)

  • 掌の美術論 <br>第14回 嘘から懐疑へ――絵画術と化粧術のあわい握れなかった手 - けいそうビブリオフィル

    芸術と嘘 芸術とは嘘をつく技術である、という言説は、たびたび認められる。それは芸術を真実から遠ざけるための批判ともなり得るものではあるが、むしろそこにこそ芸術の真髄を見る見解が、近代フランスに登場する。17世紀の色彩派の画家ロジェ・ド・ピールは、ルーベンスの作品に認められる誇張された色や光の表現が「化粧」(白粉や虚飾を意味するフランス語「fard」)に他ならないと認めながらも、この「化粧」による理想化を施し、鑑賞者を欺くことこそ、絵画の質であるとした*1。ジャックリーヌ・リシテンシュテインが1987年の論文「表象をメイク・アップする――女性性のリスク」で指摘しているように、絵画や言語の表現を化粧術に喩えるこうした言説は、伝統的には女性嫌悪に根ざすものであった一方で、17世紀以降のフランスで化粧術としての芸術を肯定的に捉える傾向が登場したことは、宮廷文化における化粧の評価や、文学における女

    掌の美術論 <br>第14回 嘘から懐疑へ――絵画術と化粧術のあわい握れなかった手 - けいそうビブリオフィル
  • 掌の美術論 <br>第10回 クールベの絵に触れる—グリーンバーグとフリードの手を媒介して - けいそうビブリオフィル

    大学の夏休み期間を利用したフランスでの在外研究から帰国した後、職場のポストを見ると、同僚の加治屋健司さんから献いただいた『絵画の解放――カラーフィールド絵画と20世紀アメリカ文化』が投函されていた。このについては別の媒体で書評を記す予定である。 モーリス・ルイスやジュールズ・オリツキーのカラーフィールド絵画は、論じることが不可能であるほどに好きな芸術の一部だ。何も考えずにただじっと作品の前に座して見つめていたいと思う。隣にいる人と「やはりいいね、気持ちがいい」などと呟き合うのもよい。だが作品を目の前にして、「この絵画の良さを教えてほしい」と尋ねられても、「色が空や海のようできれい」であるとかいった印象的なレベルにとどまること以外に、私には決してうまく語ることはできないだろう。 DIC川村記念美術館には、幅5メートルを超えるオリツキーの作品《高み》のみが展示された贅沢な空間がある。歴史

    掌の美術論 <br>第10回 クールベの絵に触れる—グリーンバーグとフリードの手を媒介して - けいそうビブリオフィル
  • 掌の美術論 <br>第8回 美術史におけるさまざまな触覚論と、ドゥルーズによるその創造的受容(前半) - けいそうビブリオフィル

    この連載では、数回前から美術史的著述における「触覚」をめぐる議論について辿り直している。辿り直す、といっても、それらの諸議論はわかりやすい一の系譜を成しているわけではない。それぞれの著者は、別の著者の「触覚」の議論と共通の知識や前提から出発している場合もあるのだが、そこからどのように作品分析に展開していくのか見ていくと、この連載の他の記事でも述べてきたように、驚くほどの多様性に満ちていることがわかる。過去の「触覚」の議論を承けていることを明らかにしている著述でさえ、具体的な作品分析を通して、別の議論を生じさせていく。気づけばそのロジックは、影響源となったはずの著述におけるロジックとは別のものになっていく。過去の触覚論を辿り直すことで浮かび上がるのは、「系譜」と呼べるような大きな幹を持たない諸議論のつながりと対立である。それは一の幹から派生する枝葉の構造というよりも、縦横無尽に広がりなが

    掌の美術論 <br>第8回 美術史におけるさまざまな触覚論と、ドゥルーズによるその創造的受容(前半) - けいそうビブリオフィル
  • 掌の美術論 第1回 緒言 - けいそうビブリオフィル

    フランスを中心とした近現代美術を研究している松井裕美さんの連載が始まります。松井さんの伸びやかな筆致に導かれ、ある芸術作品の手ざわりを想像したり、そうした想像から喚起される何かに身をゆだねたりすることを楽しみにしています。みなさまもぜひご一緒に。【編集部】 この連載のタイトルには二つの意図が込められている。その一つは、各々の記事を、掌編小説のように手軽に読める、短く完結した美術論として書いてみよう、というものだ。じっくり時間をかけて火にかけている煮込み料理がくつくつと音を立てているのを聞きながら、山の中腹のバス停でバスが来るのを待ちながら、あるいは出勤電車の中で、ふと気づいたときにタブレットや携帯を取り出し読むことができる、そのような文章を書いてみたいと思った。ただしいざ自由に書いて良いとなると、なかなか書き進まないもので、お声がけくださった編集者の関戸詳子さんにはご迷惑をお掛けした。いく

    掌の美術論 第1回 緒言 - けいそうビブリオフィル
    florentine
    florentine 2023/06/29
    “触れることができる「あなた」、しかし触れることができるというその性質によって、損なわれてしまうかもしれない「あなた」、そしてその感覚の中でこそ信じることのできる「何か」、それは一体、何なのだろう
  • 掌の美術論<br>第5回 時代の眼と美術史家の手――美術史家における触覚の系譜(前半) - けいそうビブリオフィル

    2020年春から、コロナ禍で国内外の多くの展覧会が開催を見合わせたり延期したりした。代わりに多く見かけるようになったのが「ヴァーチャル・ミュージアム」と呼ばれる企画だ。インターネットに繋いだパソコンやタブレットさえあれば、家にいながらにして幾つかの海外の企画展の展示室風景を3Dの再現で見ることができた。そうした特設サイトでは、気に入った作品をクリックすればその詳細画像とキャプションを読むことができる工夫もなされていた。自粛期間が続くあいだ、美術館のこうした取り組みは重要な気晴らしの時間を提供してくれた。 だがそれと同時に改めて考えさせられたのが、作品を「見る」という行為の意味である。文化事業が通常運転を始め、実際の作品を前にする機会を取り戻した今、やはりパソコン上で見る作品の画像と、実物を前にして見る体験とは大きく異なっていることを再確認した人も多いに違いない。 では目の前の作品と、パソコ

    掌の美術論<br>第5回 時代の眼と美術史家の手――美術史家における触覚の系譜(前半) - けいそうビブリオフィル
    florentine
    florentine 2023/06/29
    ルネサンス美術史学徒だったので出てくるめちゃくちゃ懐かしかった
  • 【憲法学の散歩道/長谷部恭男】 第32回 道徳理論の使命──ジョン・ロックの場合 - けいそうビブリオフィル

    「憲法学の散歩道」単行化第2弾! 書き下ろし2編を加えて『歴史と理性と憲法と――憲法学の散歩道2』、2023年5月1日発売です。みなさま、どうぞお手にとってください。[編集部] ※書の「あとがき」をこちらでお読みいただけます。⇒『歴史と理性と憲法と』あとがき ジョン・ロックは1632年8月29日、イングランド南西部のサマセットに生まれた。父親は治安判事の書記や弁護士として働いた法律家で、1642年に議会とチャールズ1世の間で戦闘が開始されると、議会側の軍に参加した。ロックは父親が仕えた治安判事の推挽でロンドンのウェストミンスター校に入学し、さらにオクスフォードのクライスト・チャーチ・コレッジに進学した。1684年に除名されるまで、彼はクライスト・チャーチに籍を置くことになる。 ロックが修めた学問分野の1つは医学である。彼は1666年に財務卿のアンソニー・アシュレイ・クーパー──1672

    【憲法学の散歩道/長谷部恭男】 第32回 道徳理論の使命──ジョン・ロックの場合 - けいそうビブリオフィル
  • 【憲法学の散歩道/長谷部恭男】 第27回 ボシュエからジャコバン独裁へ──統一への希求 - けいそうビブリオフィル

    「憲法学の散歩道」単行化第2弾! 書き下ろし2編を加えて『歴史と理性と憲法と――憲法学の散歩道2』、2023年5月1日発売です。みなさま、どうぞお手にとってください。[編集部] ※書の「あとがき」をこちらでお読みいただけます。⇒『歴史と理性と憲法と』あとがき ジャック・ベニニュ・ボシュエは、フランス絶対王政のイデオローグとして知られる。 ボシュエは1627年、ディジョンの司法官の家柄に生まれた。イエズス会の教育を受けた後、メスの司教座聖堂参事会員となった彼の説教師としての声望は次第に高まり、1669年にコンドムの司教となり、さらに1670年にはルイ14世の王太子付きの指導教師となった。1680年に指導教師の務めを終えた彼は、1681年にモーの司教となった。マルブランシュ、ピエール・ジュリウー、フランソワ・フェヌロン等と論争を繰り広げた彼は、「モーの鷲 l’Aigle de Meaux

    【憲法学の散歩道/長谷部恭男】 第27回 ボシュエからジャコバン独裁へ──統一への希求 - けいそうビブリオフィル
  • あとがきたちよみ/K.シュレーダー=フレチェット 著、奥田太郎・寺本 剛・吉永明弘 監訳『環境正義 平等とデモクラシーの倫理学』 - けいそうビブリオフィル

    あとがき、はしがき、はじめに、おわりに、解説などのページをご紹介します。気軽にページをめくる感覚で、ぜひの雰囲気を感じてください。目次などの概要は「書誌情報」からもご覧いただけます。 K.シュレーダー=フレチェット 著 奥田太郎・寺 剛・吉永明弘 監訳 『環境正義 平等とデモクラシーの倫理学』 →〈「第6章 先住民の人々とパターナリズムの問題」冒頭(pdfファイルへのリンク)〉 →〈目次・書誌情報・オンライン書店へのリンクはこちら〉 *サンプル画像はクリックで拡大します。「第6章 先住民の人々とパターナリズムの問題」文はサンプル画像の下に続いています。 第6章 先住民の人々とパターナリズムの問題 一九八六年八月、カー= マギー社は、カレン・シルクウッドの三人の遺児たちに対して、彼らの母親を故意にプルトニウム汚染にさらし、組合関連活動をめぐって彼女にハラスメントを行ったという咎で、何百

    あとがきたちよみ/K.シュレーダー=フレチェット 著、奥田太郎・寺本 剛・吉永明弘 監訳『環境正義 平等とデモクラシーの倫理学』 - けいそうビブリオフィル
  • コロナ時代の疫学レビュー/第1回 感染と情報の爆発 - けいそうビブリオフィル

    2020年にはじまった新型コロナウイルス感染症(Covid-19)の拡大以降、いろいろな点で「疫学」が注目されています。病院の診療科目としてはなじみがありませんが、医療の基礎を支える大事な分野です。日疫学会では「明確に規定された人間集団の中で出現する健康関連のいろいろな事象の頻度と分布およびそれらに影響を与える要因を明らかにして、健康関連の諸問題に対する有効な対策樹立に役立てるための科学」と定義しています。この連載では、そんな疫学をご専門にして、長らく文献レビューに携わってきた坪野吉孝さんが、Covid-19に関連する文献を通して、疫学の基的な理論をご紹介くださいます。[編集部] 新型コロナウイルス感染症(Covid-19)は、科学の歴史はじまって以来の、情報の爆発を引き起こした。 新型コロナに関する論文が公開されはじめたのは2020年初頭からだが、その後1年にも満たない2020年12

    コロナ時代の疫学レビュー/第1回 感染と情報の爆発 - けいそうビブリオフィル
  • あとがきたちよみ/『〈聖なる〉医療 フランスにおける病院のライシテ』 - けいそうビブリオフィル

    あとがき、はしがき、はじめに、おわりに、解説などのページをご紹介します。気軽にページをめくる感覚で、ぜひの雰囲気を感じてください。目次などの概要は「書誌情報」からもご覧いただけます。 ジャン・ボベロ、ラファエル・リオジエ 著 伊達聖伸・田中浩喜 訳 『〈聖なる〉医療 フランスにおける病院のライシテ』 →〈「訳者あとがき」(pdfファイルへのリンク)〉 →〈目次・書誌情報・オンライン書店へのリンクはこちら〉 訳者あとがき 書は Jean Baubérot et Raphaël Liogier, Sacrée médecine : Histoire et devenir d’un sanctuaire de la Raison, Paris, Entrelacs, 2010, 196p. の全訳である。 著者のジャン・ボベロは、一九四一年生まれでライシテ研究の専門家。プロテスタンティズムと

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  • 《特別公開》ジャン・ボベロ補論完全版 - けいそうビブリオフィル

    ジャン・ボベロ/ラファエル・リオジエ『〈聖なる〉医療』の末尾には、それぞれの著者による「補論」が収録されている。日語訳が刊行されるのに合わせて、訳者から著者に短い論考を書いてもらえないかと依頼したのである。ボベロから寄せられたテクストは、こちらがお願いしていたよりもずいぶん長く、そのままの形では書籍には収録できないことが判明した。そこで、紙のについてはボベロの了解を得て訳者の側で適宜編集をして訳出することにしたのだが、もちろんテクストにはカットするのが惜しい部分もあった。そこで、「けいそうビブリオフィル」の場をお借りして、ボベロの補論として寄せられたテクスト全文の翻訳を「完全版」として掲載する次第である。[訳者] この「あとがき」は学問的なものではない。私は連れ合いミシェルの「介助者」としてこれを書くことにした。彼女は数年来、アルツハイマーという病に冒されている。そのため、私は医師や看

    《特別公開》ジャン・ボベロ補論完全版 - けいそうビブリオフィル
    florentine
    florentine 2021/02/26
    「こうした感情を希望と呼ぶのである」/いま病名がつかない(難病の名前は複数あがってる)状態でお医者さんにも「ワカラナイ」て言われ続けるし伴侶は心疾患だし色々な気持ちが押し寄せて泣いてしまった。
  • あとがきたちよみ/『ヨーロッパの世俗と宗教 近世から現代まで』 - けいそうビブリオフィル

    あとがき、はしがき、はじめに、おわりに、解説などのページをご紹介します。気軽にページをめくる感覚で、ぜひの雰囲気を感じてください。目次などの概要は「書誌情報」からもご覧いただけます。 伊達聖伸 編著 『ヨーロッパの世俗と宗教 近世から現代まで』 →〈「序論 書の目的・特色・構成」(pdfファイルへのリンク)〉 →〈目次・書誌情報・オンライン書店へのリンクはこちら〉 序論 書の目的・特色・構成 伊達聖伸 書は、近世から現代に至る時期のヨーロッパにおける世俗と宗教の関係を、総合的かつ多角的に論じようとするひとつの試みである。総合的というのは、おもに政教関係の構造的変容に注目することによって、ヨーロッパ全体にある程度共通する大きな変化を掴み出してみたいということだが、国や地域に応じた違いや特徴的な争点を比較の視座のもとで相互に浮かびあがらせようとする点において、すでに多角的である。ところ

    あとがきたちよみ/『ヨーロッパの世俗と宗教 近世から現代まで』 - けいそうビブリオフィル
  • 《ジェンダー対話シリーズ》第2回 隠岐さや香×重田園江: 性 ―規範と欲望のアクチュアリティ(後篇)

    「ジェンダーとかセクシュアリティとか専門でも専門じゃなくてもそれぞれの視点から語ってみましょうよ」というスタンスで、いろいろな方にご登場いただきます。誰でも性の問題について、馬鹿にされたり攻撃されたりせず、落ち着いて自信を持って語ることができる場が必要です。そうした場所のひとつとなり、みなさまが身近な人たちと何気なく話すきっかけになることを願いつつ。 「ジェンダーとかセクシュアリティとか専門でも専門じゃなくてもそれぞれの視点から語ってみましょうよ」というコンセプトのもと、《ジェンダー対話シリーズ》が始まりました。誰でも性の問題について、馬鹿にされたり攻撃されたりせず、落ち着いて自信をもって語ることができる場が必要なはずです。そんな場所を模索していきたいと考えています。 シリーズ第2回は、第1回めにひきつづき、隠岐さや香さんと重田園江さんをお迎えして開催された『愛・性・家族の哲学』(ナカニシ

    《ジェンダー対話シリーズ》第2回 隠岐さや香×重田園江: 性 ―規範と欲望のアクチュアリティ(後篇)
  • 《ジェンダー対話シリーズ》第1回 隠岐さや香×重田園江: 性 ―規範と欲望のアクチュアリティ(前篇)

    「ジェンダーとかセクシュアリティとか専門でも専門じゃなくてもそれぞれの視点から語ってみましょうよ」というスタンスで、いろいろな方にご登場いただきます。誰でも性の問題について、馬鹿にされたり攻撃されたりせず、落ち着いて自信を持って語ることができる場が必要です。そうした場所のひとつとなり、みなさまが身近な人たちと何気なく話すきっかけになることを願いつつ。 《ジェンダー対話シリーズ》について いま、フェミニズムやジェンダー・セクシュアリティについて、多くの人が語りにくい空気を感じているのではないでしょうか。バックラッシュ下で、(その範囲をどう規定するかが難しいですが)専門家が語りにくく感じる状況がつづいている一方、専門家ではない人も、うかつな発言をしたら大変なことになるという雰囲気があります。興味はあるし、思うことはあるけれど、何か言ったら誰かに攻撃されそうで怖い、あるいは知らない間に誰かを傷つ

    《ジェンダー対話シリーズ》第1回 隠岐さや香×重田園江: 性 ―規範と欲望のアクチュアリティ(前篇)
  • ジャン・ボベロ来日講演録(前篇)「続発するテロに対峙するフランスのライシテの現状と課題」

    哲学・思想、社会学、法学、経済学、美学・芸術学、医療・福祉等、人文科学・社会科学分野を中心とした出版活動を行っています。 2016年10月にフランスのライシテ研究の重鎮、ジャン・ボベロ氏が来日し、今日のフランスにおけるライシテについて講演を行ないました。その2回の講演「続発するテロに対峙するフランスのライシテの現状と課題」と「今日のフランスにおけるライシテ――イスラームと〈宗教的なもの〉のグローバル化に直面して」の日語訳を掲載いたします。 掲載をお許しくださったジャン・ボベロ先生、訳文掲載にご尽力くださった伊達聖伸先生、増田一夫先生、ミカエル・フェリエ先生、赤羽悠さん、西村晶絵さんにお礼申し上げます。[編集部] 【訳者による導入解説】 2015年1月7日~9日の「シャルリ・エブド」襲撃事件、警官殺害事件、ユダヤ系料品店襲撃事件。そして同年11月13日の大規模なパリ襲撃事件。2016年7

    ジャン・ボベロ来日講演録(前篇)「続発するテロに対峙するフランスのライシテの現状と課題」
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