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ブックマーク / www.msz.co.jp (79)

  • 十二世紀ルネサンス【新装版】 | みすず書房

    都市が勃興し、最初の完了国家が形成されつつあった12世紀のラテン的ヨーロッパは、古典古代を再発見した。若々しく、活力に満ちた時代精神に、古代の知的遺産が新しい意味、新しい響きをもった。〈12世紀は他に例を見ないほど創造的な、造形的な時代〉(ホイジンガ)であった。中世史家ハスキンズは、綿密な写研究と文献学の成果にもとづいて、修道院から大学まで、この中世のルネサンスに営まれた精神生活の諸相を描く。 ラテン語の古典・詩・散文が、遊歴書生の新しい押韻の叙情詩、《カルミナ・ブラーナ》の聖・俗にわたる愛らしい詩に復活し、また変化に富む時代は、伝記、回想録、宮廷編年史、都市の年代記等の多様な歴史記述を産んだ。ローマ法がよみがえり、ギリシア語・ラテン語からの翻訳家の苦心の労作は、哲学と科学の復興をもたらした。学問的制度としては、12世紀は司教座聖堂付属学校の隆盛にはじまり、サレルノ、ボローニャ、パリ、モ

    十二世紀ルネサンス【新装版】 | みすず書房
  • ジョン・ラスキン『ゴシックの本質』 | トピックス : みすず書房

  • 闇なる明治を求めて | みすず書房

    『近代読者の成立』『幻景の明治』『都市空間のなかの文学』ほか、近世・近代文学を自在に往還しつつ、実証的かつスリリングなテクスト読解を提示、また内外の同時代理論をしなやかに吸収しながら独創的な問題系を提起しつづけた前田愛(1931-1987)。国文学研究において切り開いたその地平は、ジャンルを越えて今日もなお立ち返るべき思索の橋頭堡である。単行未収録の対談・座談を精選、その全体像を浮き彫りにする集成、全2巻。 [第I巻] 司馬遼太郎、山田風太郎の時代小説は明治をどうとらえたか? 明治の言文一致体、近代小説はいかに生まれ、何を切り捨てたか? 馬琴『八犬伝』再評価に伴い、文学史はいかに書き換えられるべきか? 時代と表現、政治と文学の錯綜を解きほぐす「明治カルチュラル・スタディーズ」。井上ひさし、大岡昇平、尾崎秀樹、川村二郎、種村季弘、野口武彦、橋川文三ほかとの対話。解説・金子明雄。 I 小説

    闇なる明治を求めて | みすず書房
  • 若き日のラフカディオ・ハーン | みすず書房

    「耳なし芳一」「むじな」——日人なら誰もが知っている『怪談』の作者、小泉八雲ラフカディオ・ハーン。その彼が終焉の地・日に残した足跡は容易にたどりうるものだが、前半生はこれまであいまいな点が少なくなかった。 終戦直後、占領軍の一員として日に駐留したO・W・フロストは、ハーンの魅力にとりつかれ、アメリカに戻って研究にとりかかる。生地ギリシアほかヨーロッパ各地をめぐって親族や関係者の証言を引き出し、現地の記録を徹底的に調査。渡米後については、ことに新聞記者時代の潜入ルポ、論説、紀行文などハーンの原資料を駆使して「文学の修業時代のみならず、彼の文学がアメリカで結実していく」ありさまを克明に追跡していった。 その成果が書であり、原著刊行(1958年)から50年近く経った現在もなお、「来日以前」を実証的にたどったものとして、その地位はゆるがない。数あるハーン伝のなかでも古典的名著といえる1冊で

    若き日のラフカディオ・ハーン | みすず書房
  • エルンスト・カッシーラー | みすず書房

    1874-1945。ドイツの哲学者。旧ドイツ領ブレスラウ(現ポーランド領ヴロツワフ)に生まれる。ヘルマン・コーエンの下でカント哲学を学び、マールブルク学派の一人に数えあげられるが、近代認識論史の大著である『近代の哲学と科学における認識問題』(1-3巻、1906-20、4巻、1950〔邦訳『認識問題』全4巻・5冊〕)や『実体概念と関数概念』(1910)で独自の立場を確立。ベルリン大学私講師をへて1919年新設ハンブルク大学教授に着任。さらに『シンボル形式の哲学』(1923-29)で言語・神話・宗教・芸術などを包括する文化哲学の体系をつくりあげた。1933年、ナチスの支配と同時に亡命を余儀なくされ、オクスフォードからスウェーデンをへて、1941年以後アメリカで活躍する。1945年4月、ニューヨークで歿。著書は他に『自由と形式』(1916)『カントの生涯と学説』(1918)『ルネサンス哲学におけ

  • 認識問題 3 | 近代の哲学と科学における | みすず書房

    〈カント以後の体系は、毀誉褒貶こそ激しかったものの、その固有の思想的動機から解明され評価されたためしはほとんどなかった。書ではこうした解明を試みた後ではじめて、忌憚のない内容的批判に着手した。カント以後の偉大な体系のほとんどすべてが辿った運命は、これらの体系への無批判な熱狂の後に、これまた無批判な非難がやってきたということである。今日ようやくわれわれは、ほどよい距離をとりながら、これらの体系に真の歴史的客観性をもって対処できるようになったと思われる〉 ルネサンス以前から20世紀まで、クザヌス、デカルトからホッブズ、スピノザ、ライプニッツ、カント、モムゼン、ブルクハルトまでを独自の方法意識で描いたドイツの碩学、カッシーラーの記念碑的哲学史、全4巻・5冊の画期的訳業がここに完結する。巻はカント以後、ヤコービ、ラインホルト、マイモンに始まり、フィヒテ、シェリング、ヘーゲル、ヘルバルト、ショー

    認識問題 3 | 近代の哲学と科学における | みすず書房
  • 攻撃 | 悪の自然誌 | みすず書房

    書は、比較行動学の立場から脊椎動物における《攻撃能》といわれるものに新しい角度から光を当て、世界中に大きな反響をまき起こした。 さんご礁を中心とした美しい世界で展開される色とりどりの魚たちの激しい種内闘争のスケッチから筆を起こし、さまざまの典型的な攻撃的行動を観察し、同一種族間に行なわれる攻撃は、それ自体としては決して《悪》ではなく、種を維持する働きをもっていることを示す。つづいて能の生理学一般、特に攻撃能の生理学について詳細な考察を行ない、さらに攻撃能が儀式化される過程を興味深い実例によって述べる。最後に、種が変化するにつれて、攻撃を無害なものとするためにどのような仕組みが《編みだされ》てきたか、儀式はここでどのような役割をひき受けるか、またこうして生まれた行動様式が、《文明をもつ》人間の行動様式とどれほどよく似ているかが、実例を通して具体的に示される。そしてたとえば、ひとりの

    攻撃 | 悪の自然誌 | みすず書房
    florentine
    florentine 2013/06/06
    え、これ、85年なの? じゃあ、わりとすぐ読んだんだ・・・高校の図書室に入ってました
  • 『感情教育』歴史・パリ・恋愛 | みすず書房

    フロベールといえば『ボヴァリー夫人』? しかし、それに勝るとも劣らない傑作が『感情教育』です。都会に出てきた主人公フレデリックの目を通して描かれる革命や理想、恋愛の挫折。作者のいう「同世代の人々の精神史」は果たして実現されたのでしょうか。百五十年の時を越えて、青春のドラマが、生き生きとよみがえります。 小説の時代/フロベールと『感情教育』 第1回 歴史 テクスト——1848年2月の革命の場面 歴史小説と日人/ヨーロッパの歴史小説/二月革命という事件歴史をいかに表象するか/戦闘の場面のレトリック/民衆の表象/模倣としての二月革命 第2回 パリ テクスト——(1)フレデリックがパリをさまよう (2)シャン=ド=マルス競馬場からの帰り道 (3)物憂げなパリ (4)夜のパリ 都市は体験する/十九世紀パリと文学/オスマンのパリ/愛と野心の都市/シャン=ゼリゼ大通りの誘惑/パリの倦怠/セーヌ河の風

    『感情教育』歴史・パリ・恋愛 | みすず書房
  • ディア『知識と経験の革命』 | トピックス : みすず書房

  • ピーター・ディア『知識と経験の革命』 - みすず書房

    鳥は飛び方を知っているだろうか? 書はそんな風変わりな問いから始められる。アリストテレスによれば、飛んでいること(経験)はすなわち飛び方を知っていること(知識)を意味しており、こうした知識のあり方は中世に至るまでヨーロッパを支配していた。 しかし科学革命と呼ばれる時期を経て、知識と経験の関係は一変する。科学革命とは、知識とそれを獲得する方法の概念が再構成された、史上に並ぶもののない驚くべき革命だったのである。 ガリレオ、ケプラー、デカルト、ニュートンといった科学者=哲学者たちが、いかに自然法則の探究を試みたか。また、彼らはどのようにその研究生活を生業とし、獲得した知識を広めることができたのか。書では彼らを支えたパトロン、自然哲学の実践者としての職人の存在、さらには当時新設が相次いだ学術機関など、同時代的な社会環境にも光を当てる。 科学はいかに自然法則を「理解」することから、「利用」する

    ピーター・ディア『知識と経験の革命』 - みすず書房
  • ピダハン | 「言語本能」を超える文化と世界観 | みすず書房

    著者のピダハン研究を、認知科学者S・ピンカーは「パーティーに投げ込まれた爆弾」と評した。ピダハンはアマゾンの奥地に暮らす少数民族。400人を割るという彼らの文化が、チョムスキー以来の言語学のパラダイムである「言語能」論を揺るがす論争を巻き起こしたという。 書はピダハンの言語とユニークな認知世界を描きだす科学ノンフィクション。それを30年がかりで調べた著者自身の奮闘ぶりも交え、ユーモアたっぷりに語られる。驚きあり笑いありで読み進むうち、私たち自身に巣う西欧的な普遍幻想が根底から崩れはじめる。 とにかく驚きは言語だけではないのだ。ピダハンの文化には「右と左」や、数の概念、色の名前さえも存在しない。神も、創世神話もない。この文化が何百年にもわたって文明の影響に抵抗できた理由、そしてピダハンの生活と言語の特徴すべての源でもある、彼らの堅固な哲学とは……? 著者はもともと福音派の献身的な伝道師

    ピダハン | 「言語本能」を超える文化と世界観 | みすず書房
  • ヨーロッパ文学とラテン中世【新装版】 | みすず書房

    これは、ヨーロッパ文学について今世紀に書かれたおそらく最も重要な書物であり、今後、ヨーロッパ文学または文化を語るとき、つねに念頭におかるべき書物である。 ヨーロッパとはたんに地理的名称をいうのではなく、固有の伝統を有するひとつの「意味統一体」である。クルツィウスは歴史研究の根底をなすひとつの学問的技術たる文献学を駆使することにより、この事実を見事に証明する。西洋文化のもつ空間的時間的統一性をあらたな方法によって照らし出す試みにおいて、ひとつの立脚点となるのは、ウェルギリウスとダンテのあいだに横たわる十三の世紀の教養語たる「ラテン語の世界」である。もうひとつはギリシア、ローマから十六、七世紀に至るあいだの諸文学、すなわちヨーロッパ文学である。かかる楕円構造よりなる広大な文学空間を、著者は細心に精査しつつ、各テキストのなかに文学的伝統の連続性を探りあてる。 「文学」という言葉の出自、「古典的著

    ヨーロッパ文学とラテン中世【新装版】 | みすず書房
    florentine
    florentine 2013/02/11
    再読予定
  • ルジャンドルとの対話 | みすず書房

    わたしが使っていたラテン語の文法書にこんな例文があった。「傲れる者は己を誇る(Superbus se laudat)。」わたしはこの忠告にしたがい、自著の裏表紙にみずからを三人称で賞賛する紹介文を記すのを自分に禁じた。この時代の嘆かわしい習慣だと思う。少しとりとめのないラジオ対話をまとめた書は、そんなわたしにとって二重の意味で大それたものである。 読者よ、ここで語っているのはひとりの老いぼれ(baderne)だ。「老いぼれ」を辞書で引くと「老いて偏狭なひと」とある。わたしは老いている。そしてまた偏狭だ。自分の限界を知っているからである。「老いぼれ」は死語だが、ある元老院議員がそれを甦らせたのを知って気に入った。間然するところなく進歩的なその議員は、ソルジェニーツィンを「老いぼれ」と呼び、憎悪に満ちた言葉でかれの死に快哉を叫んでいた。そこで、わたしは以下のように結論する。老いぼれとは、欲し

    ルジャンドルとの対話 | みすず書房
  • ジャン・ジュネ『判決』 | トピックス : みすず書房

    florentine
    florentine 2012/11/13
    きたーーv
  • 交換のはたらき 1 | みすず書房

    ブローデルの3層構造をなす建築物の2階、3階を探究するのが『交換のはたらき』である。『日常性の構造』で、日常レベルの物質生活をきめ細かに描いた著者は、巻では、初歩的な物々交換から手の込んだ資主義的活動までを含めて、交換のはたらきを全体として分析する。市(いち)、大市(おおいち)、行商、国際的な遠隔地交易など、15-18世紀を彩る交換の諸形態に照明を当て、交換が形づくる経済世界を、そして物を媒介とする人間と人間の関係の世界を鮮やかに浮び上がらせる。 その叙述には逸話や未知の事実が随所にちりばめられ、われわれの想像力を刺激する。——テムズ河の結氷の上で行われた大市の賑わい。アルメニア商人の11年にわたる商用の旅。シリアにおける3万5000頭のらくだからなる隊商。モンスーンによって時期が決まるマレー諸島の大市。マルチニック島とボルドーを股にかけた多国籍的経済活動……。 〈『物質文明・経済・資

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  • ブーヴィエの世界 | みすず書房

    「旅の終わりは/すかんぴん/まったくのすかんぴんがいい」 1953年、20歳を過ぎたばかりのニコラ・ブーヴィエは、ちっぽけなフィアットで旅に出た。ベオグラードで画家ティエリーと落ち合い、東へ東へと突き進む。ユーゴスラヴィア、マケドニア、イラン、アフガニスタン……。そこから一人でインド、セイロン。そこでの病と幻覚の日々を乗り越え1955年に横浜に入港、旅の終わりの日はそのときブーヴィエの愛する国となった。 「われわれが体験する最高の時も最低の時も言葉にはならない」と言い、歩行と消尽によって自己を振り捨てようとしたブーヴィエ。後年になって血を流すようにして書かれた旅の著作から、極め付きのテクストを一巻に収めて、没後ますます評価の高まるこの作家、旅行家、図像調査士の魅力を伝えたい。なんて素敵な男なんだろう。 ブーヴィエという生き方  (高橋啓) メロンの香り(『世界の使い方』) ベオグラード

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  • ポーランドのユダヤ人 | 歴史・文化・ホロコースト | みすず書房

    悪名高いアウシュヴィツ・ビルケナウやトレブリンカの死の収容所が置かれたのは、ドイツ占領下のポーランドだった。この地に、ヨーロッパ中のユダヤ人が移送されてきた。さらにまた、第二次世界大戦以前には、ポーランドの人口の10%をユダヤ人が占めていた。そのためにホロコーストではおよそ300万人にのぼる最大の被害者を出す。ホロコーストの歴史においてポーランドが特筆されなくてはならないのは、このふたつの理由によるのだ。 そして、戦後にもまだ、皆殺しの歴史は終わらない。ポグロム(虐殺)があいつぎ、生きのびたユダヤ人は国外へ大脱出する。 古代から現在まで連綿とつづくユダヤの歴史文化のなかに、ホロコーストはどう位置づけられるのか。ポーランドに暮らすユダヤ人たちの身に、現実に、何が起こったのか。日記・手記や多数の写真をはじめ主として被害者側の貴重な資料を織り込み、抑制された叙述で、過酷な史実をとらえる。 1

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  • みすず書房

    お探しのページがみつかりません みすず書房のホームページをご利用下さり誠にありがとうございます。 誠に申し訳ございません。お探しのページは、移動または削除された等の理由により表示することができません。 大変お手数ですが、サイトマップをご参照いただき、目的のページをお探しください。

  • 崇高なるプッサン | みすず書房

    絵画における崇高は、はかり知れないことによって逆説的に形づくられる。崇高とは、崇高の理論の不可能性のことであり、その不可能性の〈異形化〉である—— 著者は晩年、17世紀古典主義を代表する画家ニコラ・プッサンに、その思考を集中させていた。書には、絵画の記号学のマニフェストとして名高い「画像の描写」から、プッサンの『アルカディアの牧人たち』を扱ったパノフスキーの論文〈Et in Arcadia ego〉への透徹した批判、フーコーの『ラス・メニーナス』論に匹敵する表象の網の目の精緻な解読である二枚の自画像論、風景画を素材に〈崇高〉の問題を扱った論文群にいたるまでの9章に、付録4編を集成する。 そこで展開されるのは、美術批評の白眉ともいえるスリリングな言説であり、一見何気ない慎ましい外観を呈するプッサンの絵画から、「表象しえないものとしての崇高の問題」を経由することで、17世紀のコンセプチュアル

    崇高なるプッサン | みすず書房
  • 灰色の魂 | みすず書房

    1962年フランスのロレーヌ地方に生まれる。作家・脚家。小説『忘却のムーズ川』(1999)でデビュー、その後も『私は捨てる』(2000年度フランス・テレビジョン賞)『鍵束の音』(2002)など着実に作品を発表してきた。書『灰色の魂』によって三つの賞を受賞、いまや大いに注目を浴びている。ナンシー大学で文学と文化人類学を教えながら、故郷の小さな町で執筆を続ける。トライアスロン、登山、釣りを好む。 1953年北海道に生まれる。翻訳家。訳書 シムノン『仕立て屋の恋』(1992、 早川文庫)、ブーヴィエ『日の原像を求めて』、デナンクス『死は誰も忘れない』(1994、 1995、草思社)、キニャール『アルブキウス』『音楽への憎しみ』『さまよえる影』(1995、 1997、 2003、青土社)、ホールデン『グレアム・ヤング毒殺日記』、セリー『名人と蠍』(1997、飛鳥新社)、『テオの旅』『哲学のお

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