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思想に関するflyawayのブックマーク (12)

  • こびとさんをたいせつに - 内田樹の研究室

    金曜日はゼミが一つと会議が三つと杖道の稽古。 1年生の基礎ゼミの第一回目。 この何年か、1年生のゼミが面白い。 大学のゼミってどういうものだろう。なんだか知らないけれど、いつこうという「前のめり感」があって、こちらもそういうのには弱いので、つられて前のめりになってしまう。 最初は「ゼミとは何か」ということについてお話しする。 でも、実は私にも「ゼミとは何か」ということがよくわかっているわけではない。 だから、毎年言うことが変わる。 今回はふと口を衝いて「ゼミの目的は自分の知性に対して敬意をもつ仕方を学ぶことです」と申し上げてしまう。 言ってみてから、そういえばそうだなと思う。 ポランニーの「暗黙知」(Tacit Knowing) も、カントの「先験的統覚」も、フッサールの「超越論的直観」も要するに、「私は自分の知らないことを知っている」という事態を説明するためにつくられた言葉である。 古

  • 増子化対策 - 内田樹の研究室

    共同通信の取材。 テーマは少子化・未婚化・婚活。 同じテーマで何度もしゃべっている。 同じことを何度も書くのも疲れるけれど、基的なことなので、繰り返す。 「少子化問題」というものは存在しない。 例えば、新石器時代に「少子化問題」というものは存在しなかっただろう(その時代に生きたことがないので想像だが)。 その時代の集団において、「最近、みんな結婚しないし、子供が生まれないのはまことに困ったことだ」というような問題があったとは思えない。 そんな問題をかかえた集団は数世代で(はやければ一世代で)消滅してしまったはずだから、そもそもそれが「問題」として意識される暇さえなかった。 「親族を形成する」というのは人間が人間である基礎条件の一つだからである。 それは「労働する」とか「言語を話す」ということとほとんど同レベルの「当為」である。 「最近、みんな労働ないので、困ったものだ」というような悠長な

  • エホバの証人と輸血の話 - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake

    輸血拒否した両親・親権停止が男児の命を救った - NATROMの日記のブックマークコメントでだいぶん混乱がみられるので、一応の情報提供。 まずわたしの立場から説明しておくと、私はいまは正教会に通って勉強している身ではあるけれど(洗礼は受けていない)、子どもの頃はエホバの証人の研究生だった。そちらでもやはり洗礼(バプテスマと彼らは呼ぶ)は受けていない、でもまあ幼稚園くらいから親に連れられて週に三度の勉強会に出ていたせいで(彼らの用語では「集会」)家庭戸別訪問にたまに参加したり、それから後年自分の手術に際して輸血拒否したくらいにはずぶずぶに信者のようなものだった。すでに高校受験に際して集会にはいかなくなったとはいえ、私がほんとうに彼らときっぱりすっぱり縁を切れたのは、結婚して、30になる少し前だったと思う。幼少期のカルト系新宗教の影響を断ち切るのはかくも難しい。まあその話はおいて。 というわけ

    エホバの証人と輸血の話 - 鰤端末鉄野菜 Brittys Wake
  • MORI LOG ACADEMY: 再び「すぎ」について

    WEB Davinci Last update 20 Jun,2004. WuƂɂ͏cDɊ҂BvԊO WuguKN̍hɕqȕ|͂ǂꂾHvԊO eWB fڎ҂ɂ͒IŐ}v[gI ̃v`i{ 6/5UP cȐ̖{oł�Â錻݁A ̒{ɂ낢{ɏo̂͂ȂȂނB vĂǎ҂݂̂ȂɁA_EB`ҏW Ac Hotel By Marriott Tokyo Ginza Aman Tokyo Hotel Ana Intercontinental Tokyo, An Ihg Hotel Andaz Tokyo - A Concept By Hyatt Hotel Ascott Marunouchi Tokyo Aparthotel Bulgari Hotel Tokyo Cerulean Tower Tokyu Hotel, A Pan Pacific Partner Hotel Tokyo Conrad Tok

  • ベジタリアンという食道楽|ボクノタメニ泣イテクレ > 雑記

    ただの偏の話をこうして面白おかしく書けるのはさすが著名ブロガーだと思う。 ・きっこのブログ: ついウッカリのベジタリアン に善悪はあるか?ベジタリアンでもベジータリアンでも何でもいいけれど、こうした意図的な偏といわゆる好き嫌いによる偏との間に質的な差はない。理由が少し異なるだけで、ただの偏だ。宗教上の理由で牛をわないのも、ダイエット中で牛をわないのも、味が嫌いで牛をわないのも、臭いが嫌いで牛をわないのも、菜主義で牛をわないのも、やっていることはみんな同じである。性質が悪いのは、ただの偏の癖に、その偏を「正しい人間の姿」であるかのように主張し、偏でない人間を暗黙裡に非難するような「○主義」の類だろう。 自分でい物を獲ってわなきゃならない環境に置かれれば、人はい物を獲ってう。それが生きるということだろう。ただ、複雑になった人間はパンのみには生きられない。

  • 2008-06-05

    雨の日は考えごとをするのにいい。誰が言い出したのか知らない言葉だけど記憶にあるのはアルムおんじがハイジにそう言ってたシーン。身構えなくっても晴れやかな青空を見れば外へと先へと気分が向くけれど、グレーの雨雲に空が覆われていれば自然と内向してゆく。大昔に狩猟なんかをしてた頃、雨の日は穴倉に篭って料をどうしたもんか備蓄はどれぐらい残っているのかなんて考えてた記憶がそうさせるのかもしれない。DNAっつうか。 雨降りの中を2時間ぐらい高速道路を使ったりしながら移動したからポワワワ放題だった。まず考えたのはガソリンの小売価格のこと。1リッターあたり176円なんて数字は異常を通り越して超常現象だと思った。経費が跳ね上がった分を報酬に上乗せできれば問題ないけど、そういうのはなかなか認められないもので、どこかの富豪や投資家がブクブクと肥え太るためにあれこれ切り詰めなきゃならないなんて考えていたとき佐賀ナン

    2008-06-05
    flyaway
    flyaway 2008/06/06
    生きるということ
  • ひいばあちゃんが死んだ

    去年の年末の話だ。 ひいばあちゃんが死んだと、実家から連絡が入った。 すぐ実家へとび、すぐに通夜、お葬式が開かれた。 つっても、あんまり親戚は集まってなかったし、集まった親戚も葬式特有の暗さは全く無かった。ていうか、久しぶりにあった親戚同士談笑していた。 それもまぁ有る意味当たり前で、ひいばあちゃんは結構前からもう、老人ホーム的なところで、「ただ生かされてる」状態だったから。言い方悪いが、ぶっちゃけほとんど死んでたも同然だったのだ。もうここ1年ほどは、誰に会っても何の反応もできない状態。ときどきスタッフの人が寝返りうたせて、点滴うたせて、痰とって……当にただ生かされているという状態だった。それが、ある時熱を出して、ころりとそのまま逝っちまったらしかった。 「まあそろそろかと思ったよ」皆そんな感じの雰囲気だった。不思議な雰囲気だった。皆別に、ひいばあちゃんが嫌いだったわけじゃない。つーか寧

    ひいばあちゃんが死んだ
  • 「なぜ人を殺してはいけないのか?」 この質問に対する“理論的な”回答をお願いします。 - 人力検索はてな

    「なぜ人を殺してはいけないのか?」 この質問に対する“理論的な”回答をお願いします。 この質問に興味を持ったきっかけは以下の2つのブログ記事です。 http://www.tomabechi.jp/archives/50442579.html http://blog.goo.ne.jp/clean110/s/%BF%CD%A4%F2%BB%A6%A4%B7%A4%C6%A4%CF 必ず理論的な回答をお願いします。 例えば(テーマは違いますが)以下のような記事です。 イエス・キリストを理解してない人たちへ、−(仏陀を理解していない人たちも) http://www.tomabechi.jp/archives/50316486.html

    flyaway
    flyaway 2008/01/09
    論理では回答できない、倫理の問題だと思う http://www.mieko.jp/blog/2006/08/post_c467.html
  • 焦ると辛くて苦しい!マイペースでOK|金欠

    「借金を1日でも早く返さないと」と考えると、気持ちが滅入ってきます。 だって、そんなこと思ったところで、お給料が急に2倍になるわけでもないし、宝くじが当たるわけでもないんですから。 私は普通のOLで、手取り22万円なのに毎月30万円くらい出て行く生活を続けていました。 「ボーナスで穴埋めすればいっか」と気持ちが大きくなって、その分使う額も膨れ上がって。 カードローンでお金を借りた時も、軽い気持ちでした。 利息のことなんてあまり考えていなかったんです。 あの頃の私はホントにバカだったなと反省するばかりです。 今でこそ、無事に完済して平和な生活を送っていますが、返済生活が軌道に載るまでは、「返しても返しても借金が減らない」とかなり焦っていました。 借金を返す期間が長引くとそれだけ利息もついてまわるので、1回あたりの返済額を増やそうともしました。 でも、そうすると生活費を圧迫して、ますます気持ち

  • 空飛ぶスパゲッティ・モンスター教 - Wikipedia

    スパゲッティ・モンスター教のシンボルマーク(イクトゥスのパロディ。中に「FSM」の文字を入れて表記されることが多い。) ワシントンの夏至祭で空飛ぶスパゲッティ・モンスター像と共にパレードする人々 空飛ぶスパゲッティ・モンスター教(そらとぶスパゲッティ・モンスターきょう、英語: Flying Spaghetti Monster, Church of the Flying Spaghetti Monster, Pastafarianism)は、ボビー・ヘンダーソンが、「インテリジェント・デザイン説(ID説)」を公教育に持ち込むことを諷刺し批判するために創始したパロディ宗教(英語版)ないし新宗教である。 信者はパスタファリアン(Pastafarian)と呼ばれる[3]。略称としては日語では「スパモン教」、その信者は「スパモン教徒」、英語圏では「FSM」となる。

    空飛ぶスパゲッティ・モンスター教 - Wikipedia
    flyaway
    flyaway 2007/04/30
    論争に対抗するにはユーモアを持ち出せばよいという例
  • 図録▽神の存在・死後の世界に対する見方

    「神の存在」や「死後の世界」を信じているかどうかについて、「信じている」、「信じていない」、「わからない」の割合を対象となっている世界77か国について図示した。国の順番は「信じている」の割合の大きい順である。 (神の存在を信じるか) まず「神の存在」についてであるが、「信じている」の割合は最も高いエチオピアの99.9%から最低である中国の16.9%まで大きく異なっている。神の存在感は国によってまことに様々であることが分かる。 それにしても図を見て、まず、目立っているのは、神の存在を信じている国民の多さである。90%以上の国民が「神の存在」を信じている国は36か国と半数近くにのぼっており、95%以上に限っても26か国もある。 95%以上と国民のほとんどが「神の存在」を信じている国を見るとイスラム圏の国が12カ国と最も多く、カトリック国が9カ国、それ以外の途上国が5カ国となっている。 主要先進

  • 未映子の純粋悲性批判: 子猫を殺し続ければよろしい

    作家の坂東眞砂子さんという人が日常的に子を殺しているのだそうだ。 なぜ殺してはいけないかという「なぜころ問題」についてちょっとでも考えたことがあれば、殺してはいけないという絶対的な理由なんかはこの世界のどこにもなく、あらゆる命は等しく無価値(by新井英樹「ザ・ワールド・イズ・マイン」)であり、そのとき折々の関係性で成立するもんであって、つまりオール時価なわけだ。坂東さんのように生まれたしりから子を崖にぽいぽいと放り投げることが出来る人はそれが出来るのだから出来る人なんであって、そのことについて「がかわいそうニャ」とか「呪われろ!」とかを云っても書いても、気持ちはわかるが仕方ないんであって、坂東さんの住んでる地域では法律違反でもなさそうだし、どうにもならんな。 坂東さんは人間側から想像する<の生>を<生殖がすべてである>と解釈して代弁しつつ、尊重する手段として避妊手術を否定し「能の

    flyaway
    flyaway 2006/08/25
    倫理の問題を論理で解決することはできない、ということか。
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