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2009年4月30日のブックマーク (16件)

  • 「先生何やってんすか」の真相を聞いてみた これぞ「プロの犯行」 鼻そうめんPが初音ミクで遊ぶワケ

    カッコいいトランス曲が作れて、絵も描ける──。ニコ動のボーカロイド作者「鼻そうめんP」は、絵でも音楽でも「プロ」として活躍している人物だった(画像は作者が「インカネーション」の動画で無料配布しているもの) ニコニコ動画(ニコ動)やYouTubeといった動画共有サイトに投稿するのはアマチュアだけ。お金ももらえないのに、プロが投稿するなんてあり得ない。 世の中にはそう誤解している人が多いかもしれないが、実はプロの中にもそうした動画共有サイトの自由な気質に惹かれて、オリジナル作品を公開している人もいる。ニコ動ではそうした動画に「先生何やってんすかシリーズ」というタグが付けられるのが恒例だ。 ニコ動でイカすダンスミュージックを放っている「鼻そうめんP」もその一人。ユーザーから付けられた「鼻そうめん」という名前のインパクトもさることながら、曲自体のクオリティーもかなり高い。事実、過去に投稿した「イン

    「先生何やってんすか」の真相を聞いてみた これぞ「プロの犯行」 鼻そうめんPが初音ミクで遊ぶワケ
  • 毎回やたらと違う演出テイスト 咲-saki-第4話は「カメラワーク」 - stratoscope

    二ヶ月以上更新がなかったのに何事もなかったの如く更新。 咲-saki-第4話でやたらとカメラの存在を意識させるような演出が多かったので少しまとめてみる。 カメラのフォーカス合わせに特徴 草や背景を手前に配置してぼかす(前ボケ) いたるところで画面手前に登場する謎の背景物や草たち。 カメラマンが実際にいるような実写作品的感覚を覚えます。 同時に空間的に奥行きを感じさせる効果も。 また登場人物をこっそりのぞき見る構図や作品内人物視点と思われるような構図もあります。 同様に人物 基的には背景物の前ボケと同じ。 ただ、より作品の中への没入感があります。 (背景物越しの構図がカメラマンの存在を意識させるのに対して、人物越しの構図は「自身がそこにいて観察している」感が強い) フォーカスを移動 シャロウフォーカス(後ろボケ)からパンフォーカスへ。 割とよく使われる表現ですがこの流れの中で使われるとより

    毎回やたらと違う演出テイスト 咲-saki-第4話は「カメラワーク」 - stratoscope
  • orangestarの日記

  • 咲 第4話の細かすぎて伝わらない演出について - WebLab.ota

    毎回やたらと違う演出テイスト 咲-saki-第4話は「カメラワーク」 - stratoscopeでほぼ書きたいこと書かれた. 仕方がないから細かいことを書きます.(別にそんなに細かくないし,気づいている人は気づいていると思いますが 今回注目するところ 今回注目したいのは,OPが終わって,Aパートが始まってからの5分間(300秒!). しかも,劇伴(音楽)に関してのみ. 言いたいことは,「登場キャラが増えるごとに音楽が賑やかになっている!」以上.(「登場キャラクターそれぞれに楽器が割り振られている」と言い換えてもいい) 0秒〜10秒の間:自然音(登場人物:原村和) Aパートが始まってから ここまで,自然音だけです.水の流れる音,鳥の鳴き声,足音だけです. 10秒〜70秒:鍵盤楽器(登場人物:原村和,宮永咲) しかし,この静寂も宮永咲の登場によって少し彩られていきます. 「きらきら〜」とか「し

    咲 第4話の細かすぎて伝わらない演出について - WebLab.ota
    frog78
    frog78 2009/04/30
    観返してみよう。おっぱい目当てで残しておいてよかった
  • 「詩学」は原則本

    古典というより教典。小説、シナリオなど、創作にかかわる人は必読。 著者アリストテレスは、悲劇や叙事詩を念頭においているが、わたしはフィクション全般に読み替えた。フィクションを創造するにあたり、観客(読み手)に最も強力なインパクトを与え、感情を呼び起こすにはどうすればよいか?構成は?尺は?キャラクターは?描写は?「解」そのものがある。 これは、「現代にも通ずる古典」というのではない。二千年以上も前に答えは書かれていて、今に至るまでめんめんとコピーされてきたことに驚いた。書が古びていないのではなく、新しいものが創られていないんだね。 著者に言わせると、わたしたちヒトは、「再現」を好むのだという。この概念はミーメーシスといい、模倣とも再生とも翻訳される。現実そのものを見るのは不快で、その現実を模倣したもの――演劇だったり彫刻、絵画だったりする――を見るのを喜ぶのだという。彫刻や舞台を用いること

    「詩学」は原則本
  • 娘親限定「女の子が幸せになる子育て」

    親が読んで、ほっとするフェミニストが何と言おうが、男の子の子育てと、女の子の子育ては、ちがう。男女は、性差ではなく性格が性別に定着していくもの。つまり、「男の子らしさ」や「女の子らしさ」は、お互いもともともっており、成長の過程で(主として環境により)際立たせられていくものでないかと。 しかし、ほとんどの育児は、性差を意識していないか、あるいは「男の子限定」の内容となっている。なぜなら、育児を手にするのはたいていママだから。「女の子=自分が小さかった頃」を考えて、自分を基準にしてしまうだろうから。 そんなニッチにピッタリとあてはまるを読んだ。なじみの図書館の予約待ち順位は、「100位」。amazonでは見えにくいが、書がどれだけ望まれているか、よく分かる数字だ。娘を持つ親のためのアドバイスが満載しており、まさにいま読みたかった一冊。 とはいうものの、デジャヴ感やライフハック臭も

    娘親限定「女の子が幸せになる子育て」
  • 水瀬伊織がやって来たよ ヤァ!ヤァ!ヤァ!

    こんにちはこんにちは、新米プロデューサーのDainです! 不思議なもので、「罵ってけ!へんたいたーれん」を1000回聴いて、CDじゃなくて箱○を買ったのでござる。もちろん偽装はカンペキで、嫁さんには「バイオハザード5のため」と拝みこんで許可を得たよ。 だから起動できるのは子どもが寝付いた後で、嫁さんが起きているときはバイオ5。一緒に、「わー」とか「ひええ」と叫びながら、チェーンソーで喰らったり、ワニに喰われたりしているが、殺られても殺られても何ともないない。 で、金曜日の丑三つ時。嫁さんは寝入っている。ハードな一週間だった。丸太のように眠りたい気分。でもプロデューサーに、俺はなる!目立つにはどうしたらいいの?友情よりも愛情?性格よければいいなんて、嘘だと思わないか?――古いリフレインが叫んでる。 ついに起動。ネット界隈では、ゆきぽや美希の義兄が多いようだが、わたしにとって伊織以外に考えられ

    水瀬伊織がやって来たよ ヤァ!ヤァ!ヤァ!
  • この世でいちばん面白い小説

    筒井康隆が「ひとつだけ選ぶならコレ」とベタ誉めしてたので手を出す。ジュヴナイル向け「巌窟王」で読んだつもりになっていたが、今回、岩波赤版「モンテ・クリスト伯」でブッ飛んだ。 ストーリーを一言であらわすなら、究極のメロドラマ。展開のうねりがスゴい、物語の解像度がスゴい、古典はまわりくどいという方はいらっしゃるかもしれないが、伏線の張りがスゴい。てかどれもこれも強烈な前フリだ。伏線の濃淡で物語の転び方がミエミエになるかもしれないが、凡百のミステリを蹴散らすぐらいの効きに唸れ。読み手のハートはがっちりつかまれて振り回されることを請合う。 みなさん、スジはご存知だろうから省く。が、痛快な展開に喝采を送っているうちに、復讐の絶頂をまたぎ越えてしまったことに気づく。その向こう側に横たわる絶望の深淵を、主人公、モンテ・クリスト伯と一緒になって覗き込むの。そして、「生きるほうが辛い」というのは、どういう感

    この世でいちばん面白い小説
  • 世界はつぶやきに満ちている「灯台へ」

    中毒性のある文にハマる。 ヴァージニア・ウルフは初読だが、こんなに魅力的な文だったとは。既知の形式ながら、ここまで徹底しているのは初体験。文の妙味は分かってるつもりだったが、小説でここまでできるとは知らなかった。わたしの精進の足りなさを自覚するとともに、小説の拡張性を具体例でもって味わうことができた。 まず、地の文と会話文の混交がいい。ほぼ全て、登場人物の心情の吐露と会話に埋め尽くされているのだが、明確に区切らないのが面白い。つまり、対話をカギカッコでくくったり、地の文に埋めたりするのだ。普通の小説でもこれはやるのだが、この作品ではより徹底している。つぶやきに埋め尽くされた小説世界に没入することができる。 おかげで読み手は、人物の思考と発話を選り分けながら読む進めることを余儀なくされ、よりその人に「近い」視点でその場にいることができる。「人物~作者~読み手」の真ん中が完全に姿を消しているの

    世界はつぶやきに満ちている「灯台へ」
  • 小谷野敦「『こころ』は本当に名作か 正直者の名作案内」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)

    新潮新書 2009年4月 漱石の『こころ』を論じたものではなく、副題のように、どのような文学作品を薦めるかを示したものである。 小谷野氏の読書量は驚くべきもので、前の『里見紝伝』でも里見氏の全作品を読んだといい、そんなことは「時間さえ掛ければ誰にもできる」とこともなげに書いていたが、書でも「十年くらい前からは、意図的に、未読の古典名作を読むようになり、たいていは読み終えたのではないかと思っている」と書いている。丸谷才一・鹿島茂・三浦雅士・三氏による『文学全集を立ちあげる』(文藝春秋 2006年)などを読んでも、なんでみんなあんなにたくさんを読めるのだろうと思う。何もせずに朝から晩までを読んでも一日3冊、年に千冊ではないだろうか。十歳から七十歳まで読んでもたったの六万冊である。もちろんばかり読んで暮らすわけにはいかない。実際には一生かかって一万冊がやっとではないだろうか? 同じを二

    小谷野敦「『こころ』は本当に名作か 正直者の名作案内」 - jmiyazaの日記(日々平安録2)
  • 不謹慎ネットゲームに世界の宗教家が激怒 (1/2ページ) - MSN産経ニュース

    イエス・キリストやイスラム教のムハンマド、仏教のブッダなど各宗教の開祖を“キャラクター”にして格闘させるネットゲームが登場し、各国の宗教家、信者らが激怒している。 このゲームはイタリアのクリエーター集団「Molleindustria」が開発したネットゲーム「フェイス・ファイター」。同集団が運営するサイトから無料でダウンロードできる。 同ゲームには各宗教の開祖がアニメ調のキャラクターとして登場。丸々と太ったブッダや、やせて骨と皮ばかりのキリスト-など、極端にデフォルメされた各キャラクターが素手でバトルを繰り広げる。それぞれに「火の玉を落とす」などの“必殺技”が設けられているのが特徴だ。 このゲームの動画がユーチューブに投稿されたことで、全世界のネットユーザーが知るところとなった。 英メトロ紙によると、宗教をパロディーにしたことで、多くの宗教関係者や信者は拒否反応を示している。なかでも宗教上の

  • @nifty:デイリーポータルZ:最近の知育菓子がすごい

    子どものお菓子のジャンルに「知育菓子」というものがある。 子ども達に豊かな創造力を育んでもらいたいというねらいで作られていて、子ども達はまるで工作をしているようにべるまでの時間も楽しむことができる。 これを手に取って観察したところ、大人でも確実に楽しめそうなのだ。「知育菓子」を買いそろえて心ゆくまで遊んでみることにした。 (ほそいあや) 知育菓子の元祖 おなじみ「ねるねるねるね」は知育菓子の先駆けだ。デイリー読者世代ではほとんどの人がご存知だと思う。 1978年の登場以来、このような実験系のお菓子が同じメーカーから次々と出されている。まさに知育菓子のルーツといえる。 体に悪いと勘違いされがちだが、赤キャベツ色素などを使い、phによって色が変化する性質を利用しているため安全性は高い。 自分も子どもの頃、興奮しながらねっていた。子どもは自分で混ぜたりこねたりする作業がすきなのだと思う。大人な

  • 女の子の進路に保守的な親(予備軍)が誕生する瞬間

    http://anond.hatelabo.jp/20090429122102 「子供が女の子だったら同じ学科に入れたい」 某大に生息する理系30代既婚女だが、最近ちょうどこれについて考えてた。以前は、人が好きで、適性もあって、好きなことを仕事にして機嫌よく生きていけるんだったらこういう道もいい、こちらから薦めはしないけど人が選択したら応援してあげたいと思っていたけど、今は反対したい気分だ。 同時進行中の痴漢の話じゃないけど、学内で性絡みの事件が多過ぎる。そして圧倒的に男性社会なので公にすることも出来ず、当事者が一人で耐えるしかない状況がある。世の中は女に甘いじゃないかと言われそうだが、セクハラ争議を起こした当事者がそのままの場所に留まることは出来ない。声を挙げると将来が閉ざされる最後の手段なので、そうそう行使することはない。大体、それが起こるのが問題なのに、起こった後の処罰が厳しくて

    女の子の進路に保守的な親(予備軍)が誕生する瞬間
  • お見合いパーティー体験記

    興味8割、期待2割で行ってきた。なんともいえない暗い気分になったので、書いておく。 俺は30代前半、金融系正社員。彼女いない暦1年。キモメンではないが、かっこいいと言われたことは無い。普通にコミュニケーションはとれる。自分では中の下だと思っているが、人からは下の上くらいと思われているかもしれない。 先週の日曜日、一日予定も無く暇だったので、以前から友人と「いってみてーな」「どんなかんじなんだろうな」と話していたお見合いパーティーに行ってみようとふと思い立ち、ネットで検索。最大手のお見合いパーティー会社のサイトで、当日すぐに参加できるパーティーを探してみた。すごいな、東京のいろんなところで、平日も含めて一日何ショットもパーティーが開催されてんのな。友人を誘おうかとも思ったが、なんとなく一人で行くことに。 とりあえず、銀座で16時半スタートのパーティーに申し込む。参加費は、男性4,500円。女

    お見合いパーティー体験記
  • アメブロのPVが界王拳並みな件 - カイ士伝

    アメブロのPVが界王拳並みな件 - カイ士伝
  • 萩尾望都もマニアへの対応には苦慮していた、という話。「まんがABC」(1974年)、「わたしのまんが論」(1976年)より。 - 情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明

    マニアさま―― わたしはまったくもって人間であります ほんとです こういったまんが好きのマニアの一派に、いわば変格マニアとでもいうべき少数派がいて、これを私はド・マニアといっている。 その考察は独断と偏見に満ち、その自己顕示欲はボウリングのボールのごとく、ピンをすっとばして、疾走し、その鼻は芸術性と文学性に満ちて天をあおぎ、一般大衆を見くだすその目はカマキリのごとき。 萩尾望都といえば、1970年代を通じて最も「マニアうけ」した少女漫画家であったと言っても過言ではないかと思います。 やっぱりというか、残念ながらというか、そういう人には(ごく少数だった、とは思いたいけど)困った方もいらっしゃったようで、萩尾望都も少々、いや、かなり苦労していたみたいなんですね。 「まんがABC」より「M・マニア」 別冊少女コミック1974年6月号に掲載された読切「まんがABC」(現在の所単行未収録)より。*

    萩尾望都もマニアへの対応には苦慮していた、という話。「まんがABC」(1974年)、「わたしのまんが論」(1976年)より。 - 情報中毒者、あるいは活字中毒者、もしくは物語中毒者の弁明