フジロックフェスティバルのオリジナリティーのひとつに、「不便さ」がある。フジロックを主催するSMASHの日高正博氏も、これまでメディアで「不便が大切なんだ」と公言してきた。1997年に富士山の天神山で初年度を迎えたフジロックは、翌年、豊洲に会場を移したものの(主催者は「あれはフェスではなくイベントだった」と振り返る)、99年からは苗場に定着。都会から離れた場所に位置する、天候がすべてを左右する完全な野外で、そして移動距離も半端ない広大な敷地の中で例年200組ほどの到底観きれない数のアーティストが同時多発的にステージを繰り広げる。そんな環境が、フジロックだ。 こうした「不便さ」というステップを積極的に取り入れることは、現代日本の一般的な価値観とあまりにも違うことに興味を持たざるを得ない。そして同時に、単なる興行のためのノウハウのポイントというよりも、この時代において、もしくは未来に向けて、「