取材規制が厳しい今では考えられないが、かつてのサッカー日本代表の選手たちはおおらかで、とても取材に協力的だった。それを象徴する思い出がひとつある。1992年に広島で行われたアジアカップでのことだ。 この大会は今でこそ広く知られるようになったが、当時はJリーグ開幕前。世間的にはあまり認知されていなかったように思う。ところが、日本は予想外の快進撃を見せる。予選リーグを突破すると、準決勝では1人退場になりながら中国に逆転勝ち。予想外の盛り上がりを見せた。 しかし、困った。ネタがないのだ。当時の自分はサッカー担当になって1か月ちょい。はっきり言ってサッカー協会の関係者もよく知らない。途方に暮れながら、夜10時過ぎに選手の宿泊しているホテルを訪れた。 そこでサッカー協会の広報担当者の部屋に連絡し、準決勝で決勝ゴールを決めたゴンこと中山雅史選手に話を聞けないか、頼んでみた。すると、意外にもあっさりOK
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