小倉黒人米兵集団脱走事件(こくらこくじんべいへいしゅうだんだっそうじけん)は、1950年(昭和25年)7月11日、連合国軍占領下の日本である福岡県小倉市(現北九州市)で発生したアメリカ陸軍の兵士の大量脱走事件である。基地から多数のアフリカ系アメリカ人(黒人)兵が集団で脱走し、周辺地区の住民に略奪や暴行、強姦を行なった。しかし連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による情報規制のためほとんど報道されず、被害者も口を閉ざしたことから、事件の詳細は分かっていない[1][2]。 第二次世界大戦(太平洋戦争、大東亜戦争)終結後、小倉市にあった歩兵第14連隊(小倉連隊)の跡地には、進駐軍としてアメリカ陸軍第24歩兵師団が駐屯するキャンプ小倉(現・陸上自衛隊小倉駐屯地)が設置された。小倉には米兵を相手に商売をする者が集まり、パンパンの数も増加していった。 1950年6月に入ると、小倉市内のペンキ屋に軍帽や