賃貸暮らしのわが家の地震対策【揺れから命を守る編】 以前のブログでも記載した、防災の優先順位に基づいて対策を進めています。まだ手をつけられていない部分もありますが、ある程度まとまってきたのでざっくりとご紹介していきます。 優先順位別に改善していっているため、今回は主に地震の揺れ対策がメインになります。…
賃貸暮らしのわが家の地震対策【揺れから命を守る編】 以前のブログでも記載した、防災の優先順位に基づいて対策を進めています。まだ手をつけられていない部分もありますが、ある程度まとまってきたのでざっくりとご紹介していきます。 優先順位別に改善していっているため、今回は主に地震の揺れ対策がメインになります。…
極論として。 あなたが嫌いな人でも妥当なことを言うことはあるし、あなたが好きな人でも間違ったことを言うことはある。あなたはそれを受け入れられるだろうか。 「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」を排除するのは本当に難しい。その逆も然りである。「話者が誰か」というバイアスは、どんな人にも強烈に作用するものだし、しかもその作用を明確に意識するのはかなり難しい。 という様なことを考えた。発端はこちらの記事だ。 失言問題と「マスゴミ」論と医療費問題ここで注意したいのは、「マスゴミ」バイアスがかかっている場合、逆にあるものが正しく思えがちになってしまうこと。あくまで発端であって、こちらで書かれている本論とは大分外れてしまうとは思うけれど。 正直私は、失言問題自体には殆ど興味がない。その為、以下の話は完全に一般論であり、現在盛り上がっている話題とは一切関係ない、ということは先に書き添えておきたい。 例として分かり
ブログを書いていて、読みの目を意識しますよね。私は意識します。 できるだけ素直な言葉で、難しく書かないこと、長文にしないことがストレートに読み手に届く方法だと思います。 素直な言葉、すなわち素直に書くということですが、これがなかなか難しい。 言葉の奥に秘められたものってあると思うのですよね。 日本語は曖昧な美しさを持っている言語だと思います。 解釈の幅があり「ゆらぎ」「ゆとり」といったやさしさがあるのが日本語だと思います。 「ゆらぎ」「ゆとり」といったやさしさゆえに誤解されたりちがう解釈をとられたりする。だからこそ気をつけて言葉を選んで書く必要があると思うのです。 ついつい自分の文章をかっこよく見せようと、修飾語を多用し一文を長くしがちです。 長い一文は読んでいて疲れます。また改行があまりにもない文章というのも読みにくいものです。 自分が考えたこと、感じたことを目に見える言葉にして、可視化
http://d.hatena.ne.jp/fujipon/20081103/p1 「ある個人史の終焉」も感動して読んだ事を覚えている。閉鎖されて読めなくなったのが残念だったが、そうか魚拓があったか。再度読んで、そしてやはり後半のまだ生まれていない我が子への言葉に涙する。 そして「昨日、子供が生まれた。」へ……そして私はその先にいる。5歳になる息子の成長を見てきた。生まれた時の泣き声の小さかったのが今では大声で辛いぐらいになり、、立つのも歩き始めるのも遅かったのが今ではがんがん走り回りアスレチック遊具でも遊べるようになり、文字に興味を持って一日中何か書いたり、Wiiで遊びながら色々な事を身につけたり……何より大きいのは、まだ赤ちゃんの頃の反応の無さと今の喜怒哀楽の大きさの差……笑って泣いて怒ってと毎日忙しいけれど、そんな息子を見ている事が、私の心の大きな拠り所になっている。 それをネットに
数日前の私の個人的メモ。ふと思ったことを書き留めた↓ ブログを書く際は、コレ!といった自分のスタンスがあった方が魅力的なんじゃないかな。 自分のスタンス、他の言葉で言うなら「こだわり」とか「得意分野」とか「自分のやり方」とか ブログは自分のスタンスに乗っ取って書くのがいちばん楽ですよね。自分の好きなように書くのが楽。そもそもブログはブロガーが好きなように書いていいものですがw ただ、好きなように書いたものが必ずしもウケルとは限らない。軽くスルーされてしまうこともある。いや、むしろスルーされることの方が多い。ウケル記事というのは、んー、やはり面白いからだろうな、と思う。ホッテントリ入りする記事とかですね。 んー、そうですね、ホッテントリするような記事を書くブロガーさんは、やはりそのブロガーさん独自のスタンスがある人が多いような気がするんですよね。独自のスタンス。ああ、この記事は○○さんらしい
普通の人がブログを書くということ、そしてブログにまつわる自由と孤独について考えたことを書いてみました。 ブログは私の視点で書いたことを発信したいと思ってます。専門的な知識はなくても、これといった何かに特化したことを書くことはできなくても、普通の人でも書くことはできるわけで、私は私が書けることを書いて、それで誰かに読んでもらえればそれってすごくありがたい、うれしいことだなと思います。 ブログの存在意義〜ブログの敷居の低さ 普通の人でもブログは書いていい。何も特別な人、有名人、著名人、専門家のためにあるのがブログではない。ブログの敷居は低いわけで、そこに意味があると思うのです。ブログの存在意義(存在価値)っていうのかな、それは誰でもブログを書こうと思えば書くことができるところにあると思うのです。つまりブログを書くのに資格はいらない。誰でもブロガーになれる。個人のブログには編集者もいないわけで、
どうしてブログを読もうとしないのか。 僕にはそれが理解出来ない。 【ぷにっと囲碁!なブログ】というブログの、【東京の医療は既に崩壊してるのに…。】というエントリーが、はてなブックマークで人気を集めていた。 あのエントリーをはてブした人は、欲望を満たしたいだけである。 自らの知的知性の優秀さを、ただ誇りたいだけである。 「メディアリテラシーの欠片も無い奴らがプンスカしてやがりますよ」 と、見下したいだけである。 「脳みその足りてない愚民らが、今ではブログを書いているんですね」 と、嘲笑いたいだけである。 ご自由に、とでも言いたいところだけれど 口が裂けてもそのような事は言えそうにない。 我が国の地球上において最も劣悪なるはてなブックマーカーらは、 何故、どうして、ブログというものを読もうとしないのか。 少し調べればわかることを、調べようとしないのか。 少し読めばわかることを、読もうとしないの
はてなーと付き合い始めて3ヶ月でホテルに行った けっこう長いことはてなでやってるけど、はてなーと認識されない俺ことid:dangerous1192です。こういうの読むと楽しそうなんだが、なぜかはてなーになれない。 なるための方法論を探したらあった。せっかくなんでやってみた結果、○と△でやっと半数程度。まだまだ努力が足りないのか。でもidで呼ぶのだけはすごいなれない。 □2007年度β版「はてなーになるためのライフハック(笑)」 以下自己診断 46中で、○が17△が8 ○バカで愚かで無知である ○偏見がある ○空気読めなくて人格批判を受けても何も感じない厚顔さを持っている △アルファブロガーだと思ってる人に喧嘩を売り続ける根性を持っている ×社会的に高い地位についている(取締役、大学教授、医者) ×何かの専門家である ×お金持ちである × ×はてなに来る前に、はてな以外のところで有名になって
※この記事に個人攻撃の意図はまったくありません! はてブで「レイプ」すんな はてなブックマーク-はてブで「レイプ」すんな あまりにもまがまがしいので言及する。 まず、本記事の内容はしごくまともである。僕も、はてブには「マナーの悪い大人」が存在すると思う。ネット使い始めの中学生のマナーの悪さとはまた違った、えげつない、変なところで経験を積んできているマナーの悪さだ。そして自分がはてブ内で「空気を読めている」または「多少過激だけどこういうこと書くとスターもらえる、だから俺のブコメは支持されてる」と信じて疑わない人たちだ。 彼らはまるでピラニアである。一匹が「これは食える」と判断して食いつくと仲間が次々と食いつく*1。 上に挙げたURLの中で、特に目立ってスターのついているコメントを挙げてみる。 id:A-xtuレイプとは人聞きが悪い。というか、精読強制の時点で mixi の足跡厨みたいだし。さ
「自分のブログは誰に読んで欲しい? - 北の大地から送る物欲日記 - 明日は明日の風が吹く」 「自分を知らない人にこそ読んで欲しいよね - 最終防衛ライン2」を読んで。 こうやって書いているブログを誰に読んでもらいたいかって話。 「自分のブログは誰に読んで欲しい? - 北の大地から送る物欲日記」で紹介した発言小町の場合は、ブログを書いたからみんなに見てもらいたい、さしあたって身の回りの知人から!的な印象を受けたけど、ネットで何かを発信するってことの大きなメリットのひとつは、「同じ言語を使ってる人であれば、場所、時間、身分なんかを問わずに書いた物を読んでもらえる可能性がある」ってところ。 ネットを使い始めの頃は、書いたことがいろんな人に読まれる可能性があるってところに想像が及ばないので、どうしても知人に広めたくなる人も多いんだろうけど、本当に面白いのはネットに書かなければその人と通じることも
面白いとは何だろう?「知識」のプライオリティは下がっている町山智浩さんのブログを読んでいたら、興味深い一節に突き当たった。 オイラはものをあまりよく知らない。昔はそれを恥ずかしく思っていたし、よくバカにされてきた。でも、今はなんとも思わない。なぜなら、ネットの時代、知識は誰でも簡単に拾えるようになったので、知識そのものに価値がなくなったからだ。いや、それは言い方が違うな。本当に物知りなのか、ネットで拾っただけの知識なのか見分けることが困難になったからだ。ちょこちょこっと検索して、それを散りばめれば物知りに見える文章は作れる。「鎮」という漢字が読めない知ったかぶり「雑学王」 - ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記 なるほどこれは確かにそうかも知れない。インターネットやIT機器の発達で、情報というものはこれまでと比べて格段と調べやすく、また引き出しやすい環境になった。だから、以前のようにそれを
物を書くことを生活のリズムの中に組み込むことは自分できちんとペースをコントロールすることであり、物を書くモードをうまく作り出してそれに自分を乗せることが必要だ。ブログを書くと言うことはブログを何のために書くかということが問題であって、今まではとにかくそのものを書くペースを作るために書いていたのだけど、そういう無目的的なものになるととかく惰性になりやすい。人間には習慣力というものがあって、何かをはじめるとそれを習慣にすることはそんなに大変なことではなく(ものによるが)、それをやめること変えることの方が往々にして難しいものだ。何かをはじめるときにとりあえず何かをはじめなければならないという危機感ではじめてしまった場合、とりあえずはじめることに成功したその次の目標を見失うことが往々にしてある。毎日とにかく何かを書く中で何かを見つけていくためには、とりあえず何かを書くというだけではどうにもならない
・・・なんか凄くどこかで書いたか、どこかで見たかしたような気がして仕方がないのですが。前のエントリで『みんな知ってるよ、そんな事・・・って思い込んで書かないのはもったいない。』とか書いているので、気にせず書いてみたいかと思います(ぉ。 面白いエントリを書いて、積み重ねていけばいい。 そんなの当たり前じゃないか!って怒るか、そうだね・・・それが出来ればね・・・って思うか、じゃあどうやったら面白いエントリって書けるの?って聞くか。人によって反応は違うと思います。 そんなの当たり前じゃないか!って怒られたら。そうですその通り当たり前のことですよねー、というでしょう。頑張って面白いエントリを投下して下さいー。としか言いようがない。 そうだね・・・それが出来ればね・・・って思った方。頑張りましょう。俺も毎回そう思う。ある種、テキストを打っている方々の共通の悩みじゃないかと思います。 じゃあどうやった
ネットができないとき、私は読書します。 お盆休みの間、自宅を離れ、鹿児島にいたのでネットができない状態でした。 ネットができないことは予想できていたので、はてさてどうしよう、何しよう?と思ったとき、私がしようと思ったのは読書でした。 家ではついついPCを起動させネットにつなげてしまう私ですが、本を読むのも好きです。 この際だから積読をがんがん消化しようと思い、本をがっつり持って行きましたw 移動は車なので重さ的には問題はなかったです。(ノートパソコンも持って行きましたw) 本を読むのに飽きたらノーパソにインストール済みのやりかけのゲームもしようと思っていたのですが、ゲーム自体は一度やっただけで、テキトーなところでセーブしてやめてしまいました。DSもしかり。 お絵描きもしようとペンタブレットも持って行きましたが、ほとんど使わず。 ブログも書こうと思えば書く時間はあったのですが、ほとんど書かず
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