杉並村大字高円寺の小字を冠した中島橋は、(名前はどうだったかは分りませんが)→ 「村絵図」や→ 「東京近傍図」にも描かれた、青梅街道から高円寺前へと至る古道に架けられた橋です。以下は、「杉並歴史探訪」(昭和50年 森泰樹)の抜粋ですが、当時の桃園川は右岸段丘沿いに膨れていたので、中島橋は数十メートル南にありました。「ピンクの花もうせんを敷きつめたように、れんげ草が咲き乱れている田圃の中を、ゆっくりと桃園川が蛇行し、中島橋から原(北岸)を眺めると、青たたみを敷いたような麦畑が高円寺、氷川神社、長仙寺の森まで一面に拡がり、畑のあぜや農家の垣根に、赤い桃の花や白い雪柳、こてまりの花が咲きこぼれ、やや右手(高円寺南五丁目)に切花用の華かな花桃の群落が見え、本当に美しい風景でした。」 ・ 中島橋 右岸に向かってのショットで、坂の中腹には光塩女子学園があります。昭和6年(1931年)開校のカトリック