「教育勅語」には普遍的な部分もある――。 またこれだ。やれやれ。村上春樹作品の登場人物のようにため息もつきたくなる。 柴山昌彦文科大臣が10月2日の就任会見で、「教育勅語」に対する認識を問われて、現代風に解釈されたり、アレンジした形であれば、道徳などに使える「分野」が十分にあり、その意味では「普遍性を持っている部分が見て取れる」と答えたのである。 このような「教育勅語」の部分的肯定論は、アジア太平洋戦争の敗戦直後から見られた。法学者の田中耕太郎(1946年、当時文部省学校教育局長)や、倫理学者の天野貞祐(1950年、当時文部大臣)などの議論がそうだ。 「教育勅語」は、形式の面では、君臣関係を前提として、父権主義的な色彩が濃い。だが、内容の面では、普遍的な部分がかなりある。だから全否定するのはよくない。かれらはそう主張したのである。 以後、多少の違いはあれ、「教育勅語」の部分的肯定論は同じパ