ダジャレから作品を思いつくことがある。まあいつものことであるが、先日ハトのことを真剣に考えていたら「ハトヒール」という言葉を思いついた。「ハイヒール」のダジャレである。 ダジャレとしてはちょっと弱い。でも「ハイヒールをハトみたいにして、ハトの群れで人気者になってみたい」と思ったのだ。
「この世はなべて一幕の舞台、人はみな、男も女もただの役者に過ぎぬ。」 シェイクスピア『お気に召すまま』第二幕第七場 All the World's stage, and all the men and women merely players. ※本エントリでは映画「メッセージ」ならびにその原作小説「あなたの人生の物語」の核心に触れます。未視聴・未読の方は閲覧しないことを強く推奨します。 「メッセージ」は驚くほど誠実な「あなたの人生の物語」の映像化作品であったように思う。そりゃあいろいろと改変されている部分はあるが、それは「改変しないと、要素を足さないと映画にならない」部分にとどまっていた。さらに、ある指摘から、チャンの原作に込められていたある寓意を、とても巧みな手段で映像に昇華しているのではないかという仮説に至ったのでちょっと書きつけておこう。 宇宙船の中の、ヘプタポッドと人間が対面する
5月に入り、今年も運動会の季節が来ました。昨今、小学校の運動会は多くが5月に移されました。その中で以前より「組体操問題」が議論になっています。 多くの学校が運動会で取り組んで来た組体操を続けるべきか、否か。そんな中、実際に組体操で小学6年生の娘さんが大怪我をしてしまったお母様にインタビューができました。皆さんは組体操問題、また小学校の運動会をどう思われるでしょうか? インタビューから見えて来たのは、「運動会をする学校側だけの問題ではなく、見る側の私たちの見方を変えた方が良いのでは?」ということでした。 【事故が起きた状況】○5月28日、事故発生13時30分 仕事中、電話が鳴る 発信元は小学校から。良い電話には思えなかったが、こわごわ電話を取った。 学校「もしもしお母さんですか、○○小学校6年X組担任の△△です」 「お嬢様が右ひじを骨折されました。学校に来ていただけますか。」 骨折と聞いて、
三十代から四十代にうつる間に、私は、できることがものすごく増えた。 今まで蓄積してきた知識の量が増え、それと関連書籍をリンクさせながら読書するようになったことで、一冊の書籍から汲み取れる情報量が飛躍的に増えた。十年前の私と現在の私では、読書の方法と効率がまったく違う。 読書だけでなく、ゲームを遊ぶ時のプレイ集約性も、オフ会に参加する時のノウハウもますます高まった。自分で言うのもなんだが、この十年間で、私は驚くほど成長したと思う。体力や集中力の衰えを埋め合わせて余りあるものを、私は獲得してきた。 ただ、できることが増えたけれども、体力や集中力が減った結果として、「できるけれども諦めなければならないこと」が増えた。 あのゲームもこのゲームも面白そうだからやりたい。 でも、体力や集中力が続かない。もちろん時間も足りない。 今なら、あのスポーツもこの芸事も、若い頃よりよほど効果的に始められるだろう
「グラエコピテクス・フレイベルギ」の下顎化石。ドイツ・テュービンゲンで。AFP Extra提供。(c)AFP Extra/DPA/MARIJAN MURAT 【5月23日 AFP】500万年前のアフリカで人類は類人猿から枝分かれした──この長年の定説に疑問を投げかける研究論文が22日、発表された。研究は、分岐がそれよりも早い時期に欧州で起きた可能性があるとしている。 ヒトと最も近縁のチンパンジーに共通する最後の祖先が生存していた場所をめぐっては、科学者の間で激しい議論が交わされているが、今回、人類の起源についての新たな仮説が、ギリシャとブルガリアの洞窟で発見された約720万年前の骨の化石を基に立てられた。 今回の研究で、フランス、ドイツ、ブルガリア、ギリシャ、カナダ、オーストラリアの科学者らで構成された研究チームは、化石人類「グラエコピテクス・フレイベルギ(Graecopithecus f
初めまして、政宗と申します。 僕は短大卒業後、社会人一年目で統合失調症に罹患し、現在も治療中です。 それ以前は五歳の時から続いていた不眠、中学二年生~高校二年生までの間はリストカット、自律神経失調症、うつ病の治療を受けていましたが、それらは不眠以外に関しては高校二年生の時に治りました。 一九八七年八月十七日、午後二時二十二分、この世に帝王切開手術によって僕は産み落とされました。手術中、母の血圧が急低下し、私と母は生命の危機に立たされましたが、それも医師のとっさの機転を利かせた判断のおかげで母子ともに一命をとりとめました。 当時の母の年齢は四十歳の誕生日の一ヶ月前でで、体力的にもギリギリの出産でした。 僕が三歳の時、父と母がおそらく経済面のことで大喧嘩をし、その晩、僕は怖くて部屋から動けず、ずっとトイレを我慢していたので夜中にトイレ行こうとしました。 すると、いつの間にか真っ暗なリビングに母
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