保毛尾田保毛男の問題は今の時代に蘇ったから問題なのではなくて、以前から問題だったんだけど、この問題の本質的な課題はこの件が別に「同性愛者を笑い者にしたい」という動機から起こっていることではなかろうということだよね。単に「視聴率を取りたい」。ここまでカリカチュアライズされたキャラクターってテレビ以外では開陳する意味がなさそうな気がするしね。 同性愛者ターゲットの物に限らず、笑いの機能の一つに人を馬鹿にするということはあるし、誰にでも起こる失敗を笑うような事自体はある種の安全弁としては重要だし、異質なものを笑うということもある種の安定性において必要なことがある(怖い、を怖くないに転化するようなことも含めて)と思うんだよね。 その手の話の中でマイノリティーを笑い者にするってのはもっとも低俗でありながらこうかはばつぐんだ!みたいなやつなんだけど、それはそれとしてそういったものに対する面白さを感じる