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ブックマーク / rootport.hateblo.jp (5)

  • 「現代」を知るためにこれだけは読んどけっていうWikipediaの記事 - デマこい!

    で最初の神前結婚式は、明治33年(1900年)に東京大神宮で行われた。神道は日古来の伝統的なものだと考えられがちだが、組織宗教として体系化されたのは明治以降だ。現代の私たちにとって当たり前の常識や習慣は、ほんの少し昔まで常識でも習慣でもなかった。 「現代」を理解するためには、過去を知ることが欠かせない。 病気にならなければ健康の大切さが分からないように、過去と照らし合わさなければ現代がどのような時代か分からない。現代を理解するための過去の知識のことを、教養という。 教養を身につけるには、相応のを読むのがいちばんだ。が、いまの私たちは膨大な文献を読めるほどヒマではない。そこで威力を発揮するのがWikipediaだ。たしかにWikipediaの情報は正しいとは限らないし、どんなに読み込んでも「つまみい」程度の知識しか身に付かない。しかし、聞きかじりの知識であっても、何も知らないよりは

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  • 私たちがネットで失ったもの/YouTuberが必要とされるわけ - デマこい!

    「2.5%だってさ」 居酒屋で鍋をつついていた。大手メーカーで企画開発をしている彼は、どこか投げやりな口調だった。 「何が?」 「イノベーターと呼ばれる人の割合だよ」 「ああ、『イノベーター理論』の」 マーケティング理論の1つだ。新製品を世に出すと、まずは「新しいもの好き」な消費者が飛びつく。彼らを〈イノベーター〉と呼び、全消費者の2.5%だと言われている。 「だけど、これって多すぎると思わないか」彼はビールジョッキを置いた。「たとえば潜在的に100万人の需要が見込める市場に向けた製品なら、最低でも2万5000人は買うことになるだろ」 「単価4,000円の製品なら、それだけで1億円の売上だよね」 「どう考えても楽観的すぎる。モノを作って、定常的なプロモーションをするだけで、そんなにたくさんの消費者が飛びつくなんて……今の日ではありえないよ」 わずか10年前と比べても、モノを売りづらくなっ

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  • 物語の作り方/感動させる技術 - デマこい!

    誰もが「物語」を求めている。 スティーブ・ジョブズの魅力的なプレゼンには、「三幕構成」という作劇法が応用されていたという。iPhoneが一台あれば映画を作れる時代だ。今ほど「物語」が求められている時代はない。にもかかわらず、物語を作る「技術」の重要性に気づいている人はまれだ。物語作りに必要なのはセンスだけ──と、素朴に信じている人は多い。 物語作りにも、技術がある。 なかでもシド・フィールドが体系化したハリウッド式の「三幕構成」は、汎用性と自由度の高さが魅力だ。脚製作の現場だけでなく、商談につかうプレゼンや、WEBメディアの記事執筆(※ブログを含む!)、飲み会のときの「滑らない話」にいたるまで、およそ物語性を持つほとんどのものに応用できる。ジャンルを選ばず実用可能な、ほぼ唯一の技術といっていいだろう。 今回は「三幕構成」がどのようなものか、ざっくりと紹介したい。 三幕構成を説明する前に、

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  • その子はなぜ大人の言うことを聞かないのか? - デマこい!

    保育園のころ、魔法を使える先生がいた。 その人のことを、ここでは「まこ先生」としよう。30代前半で、職場では中堅のスタッフとして活躍していた。もちろん当時の私はあまりにも幼く、先生たちの年齢をきちんと把握していたわけではない。「若い先生/大人な先生/おばあちゃん先生」……それくらいザックリした認識しかできなかった。子供ながらに「まこ先生は頼りがいのある大人の先生だ」と思っていた。 まこ先生は、私が5歳のときの担任だ。 私が通っていたのは公立の保育園だ。高所得家庭の子供だけが集まる(?)私立保育園ならいざ知らず、様々な境遇の親たちが子供を預けていた。 とくに私の学年には、近隣の悪ガキどもが集結していた。暴れる、噛み付く、ひっかくのは当たり前。おもちゃはすぐに壊され、床や壁は汚される。みごとに手のかかる子供ばかりだった。すり傷やたんこぶは日常茶飯事だったし、親たちもいちいち目くじらを立てなかっ

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  • どう考えても若者論より「大人論」のほうが必要です - デマこい!

    ※オトナって何だ!? 「最近の若者はどうしようもねえな」というセリフは、古代エジプトの壁画にも刻まれているという。若者の言葉づかいの乱れを憂いたのは清少納言だったか、それとも吉田兼好だったか。年長者が年下を叱責するのは、もはやヒトの能に近い。 と、思っていたのだが、どうやら違うらしい。 震災後の日社会と若者(2)小熊英二×古市憲寿 http://synodos.livedoor.biz/archives/1884961.htmlでは1970年以降、急速に「若者論」が流行るようになったという。たしかに時代は移り変わる。その流れについていけない人たちは、若者を貶めることで溜飲を下げるのだ。 冗談じゃない。 大人が「大人としての責務」を果たしていないくせに、勝手なことをぬかすな。いま必要なのは的外れな若者論ではなく「大人論」だ。 少なくとも私は言いたい、 「最近の大人はどうしようもねえ

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