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ブックマーク / note.com/pencdiraht (2)

  • 『クリミア・ハン国 歴史・国家・社会』まえがきに代えて|Pençdiraht

    2024年3月18日、ロシアによるクリミア半島の「併合」から10年が過ぎました。この10年間にクリミア半島とその周辺で起こってきたことを考えると暗澹たる気持ちしか浮かびません。国際社会の平和と安定、地域住民の幸福に少しでもつながる未来があることを祈るのみです。 10年前、クリミア情勢をめぐってクリミア・ハン国とクリミア・タタールという存在が日語の言説空間で認知される中で、かつて無謀にもクリミア・ハン国史を専攻しようとした大学院生であった私は、日語でクリミア・ハン国について書かれた資料がほとんどなく、イメージのみで語られていることに失望を感じていました。幸いにもTwitterなどでクリミア・ハン国史の話題を振ると、その実像についてそこそこ関心を持ってくれる人がいるようでした。そこで突如思い立ち、1か月ほどの短期間で一気に書き上げた原稿が『クリミア・ハン国 歴史・国家・社会』と題した小史で

    『クリミア・ハン国 歴史・国家・社会』まえがきに代えて|Pençdiraht
    fuyu77
    fuyu77 2024/03/20
  • 『クリミア・ハン国 歴史・国家・社会』第1章 クリミア・ハン国の成立|Pençdiraht

    地図を広げ、クリミア半島を探すと、目を引かれるのはその特異な位置関係である。確かに、2014年のウクライナ危機に直面したロシアの指導者たちが、国際社会から白眼視されるリスクを冒してでも、この面積2万5000平方キロメートルほどの小さな半島を、自国の勢力圏になんとしてでも確保せねばならないと画策した理由が察せられるように思える。 クリミア・ハン国関係地図遠くモンゴルからカザフスタンを越え、南ロシアを経てウクライナに達するステップ地帯は、黒海の北岸でその幅わずか8キロメートルのペレコープ地峡を抜けると、クリミア半島中部から北西部にかけて広がる平原に達する。平原は南に向かってゆるやかに標高を上げ、半島中南部のクリミア山脈(最高峰は1545メートルのロマン・コシ山)を背骨とする山岳地帯を登り始める。この山を乗り越えると、黒海に面して温暖で良港に恵まれた南端部である。ここから海に漕ぎ出せば、イスタン

    『クリミア・ハン国 歴史・国家・社会』第1章 クリミア・ハン国の成立|Pençdiraht
    fuyu77
    fuyu77 2024/03/20
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