僅か69名で高崎城を乗っ取ると言う、捕らぬ狸の皮算用の挙兵計画が中止になった渋沢栄一とその一味。挙兵計画が中止になったとはいえ、村に槍や刀などの武器を持ち込んでいたことで領主から目をつけられていたこともあり、伊勢神宮への参詣という名目で実家を出て、渋沢喜作と共に京へ向かいます。 京の都に向かうアテ まず、伊勢神宮への参詣という名目で京に行くのですが、関所を通るには手形が必要です。どうやって関所を通過出来たかというと、平岡円四郎の家来という名義の手形を江戸で手に入れたからです。 平岡円四郎は徳川慶喜(当時は一橋慶喜)の用人であり、若いころから聡明であったため、川路聖謨といった有力旗本や藤田東湖の様な水戸藩士に認められて、慶喜の小姓を務めていました。栄一が江戸で学んでいた際、平岡円四郎の部下である川村恵十郎が「百姓育ちにしては、面白い奴だ」と言って、栄一と渋沢喜作を平岡円四郎に引き合わせていま