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ブックマーク / takekuma.cocolog-nifty.com (3)

  • たけくまメモ: 伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』を読む(4)

    テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ 続きを書こうとまごまごしている間に、あちらこちらで『テヅカ・イズ・デッド』の感想がアップされはじめているようであります。ことにすがやみつる氏のブログ「すがやみつるの雑記帳」では、『テヅカ…』の「キャラ論」について、先に感想を書かれてしまいました。今回の当エントリの内容とかなりダブるのですが、めげずに書くことにします。すがや氏のブログはマンガ表現・マンガの歴史について自らの経験をもとにした非常に有益な内容が書かれているので、ぜひ一読をお勧めします。 http://www.m-sugaya.com/blog/archives/000256.html (3)「キャラ」と「キャラクター」の分別・1 以上の考察を経て、伊藤はいよいよ、マンガにおける「キャラクター」の問題へと論旨を進めていく。第三章「キャラクターとは何か」がそれで、書の中核といえる部分

    gauqui
    gauqui 2011/08/28
    キャラ/キャラクターのところ
  • 伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』を読む(3): たけくまメモ

    テヅカ・イズ・デッド ひらかれたマンガ表現論へ ←伊藤剛氏から提供された表紙原画(画・和田洋介) 話を『テヅカ・イズ・デッド』に戻す。今までの文章をふまえて書の論旨を私なりにまとめると、だいたいこのような展開になっている。 (1)マンガはつまらなくなった言説の検証 前回までのエントリでも述べたように、90年代に入り、団塊の世代(50代~)からオタク第一世代(40代~)にかけての論客の多くが、どうしたわけか口々に「マンガはつまらなくなった」と言い始めた。しかし現行のマンガは、一時ほどではないにせよやはり売れているし、伊藤からみて面白いマンガはたくさんある。必ずしもマンガ表現総体が衰弱しているとは思えないのだが、先行世代の論者は意識的にか無意識的にか「今のマンガ」を無視しているように見える。これはなぜか。 「つまらなくなった」ということは、「それまでは面白かった」ということである。であるなら

  • 伊藤剛『テヅカ・イズ・デッド』を読む(1): たけくまメモ

    以下の文章は先頃刊行された伊藤剛の著作『テヅカ・イズ・デッド』を読んでの感想であります。とはいえ書き始めたらとまらなくなり、内容紹介を含めて相当な分量になってしまいました(しかも、まだ書き終わっていない)。マンガ論としては久しぶりに出た格的な理論的著作であり、2年半に及ぶ書の「産みの苦しみ」のプロセスを友人として端から見ていただけに、個人的にも感慨深いものがあるのは確かであります。 マンガ表現やマンガ史における新見解をいくつも含んだ野心作で、かなり専門的な内容(価格も専門書的)ですが、難解な用語をことさらに駆使しているわけではなく(むしろそれは最小限に抑えている感じ)、マンガ表現に関心のある人なら、一度は目を通して損はない出来だと断言できます。この感想はまだ執筆途中ですが、なかなか終わらないので「短期連載」にしました。書における伊藤くんの論旨には私自身のマンガ観にも反省を迫る部分があ

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