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ブックマーク / 9bit.99ing.net (9)

  • ゲーム研究と「ナラティブ」 - 9bit

    「ナラティブ」(narrative)という用語がゲーム研究や周辺領域において使われる場合の留意事項いろいろ。たぶん偏っています。 以下、カタカナにする意味もあんまりないので「物語」で通します。 「物語」のいろいろな意味 イェスパー・ユールは、著書 Half-Real のなかで、「物語」という用語が「かなり細かく特定しないかぎりは実践的に無意味」になるくらい多様な用法を持っていることを指摘したうえで、そのうちの主要な用法を6つ挙げている(Juul 2005: 156-157)。 複数の出来事の提示(presentation)としての物語。これは、この言葉の原義かつ文字通りの意味、つまりストーリーを語ること(storytelling)である(Bordwell 1985; Chatman 1978)。 固定され(fixed)あらかじめ定められた(pre-determined)出来事連鎖としての物

    ゲーム研究と「ナラティブ」 - 9bit
  • 『ゲーム化する世界』について (2/3) - 9bit

    ゲーム化する世界』について (1/3) のつづき。今回は以下の論文について。 松健太郎「スポーツゲームの組成――それは現実の何を模倣して成立するのか」 松さんは、「『画面の彼岸』に位置づけられる私、すなわちスクリーン空間の向こう側に表示される仮想的な身体をもったキャラクター(あるいは主人公)と、『画面の此岸』に位置づけられる私、すなわちスクリーン空間のこちら側に配置される物理的な身体をもったプレイヤーの関係性」および「それらの関係性を生成しているシミュレーションの複層的なメカニズム」を考察している。また、これを考察するにあたって、対象を「スポーツゲーム」に限定している(pp.72-73)。 そして、この「複層的なメカニズム」を明らかにするために、以下の三つの「シミュレーション」が説明概念として導入される(pp.77-79)。 ルールのシミュレーション 世界のシミュレーション 動作のシ

    『ゲーム化する世界』について (2/3) - 9bit
    gauqui
    gauqui 2013/06/25
  • 『ゲーム化する世界』について (1/3) - 9bit

    読んだ。 2011年におこなわれた日記号学会第31回大会の内容をもとにしたです。ゲームの特集号で、いろいろな論文や対談が収録されています(目次)。僕も大会では恥ずかしいかんじの発表をしたんですが、諸事情というか怠慢というかで論文は書いてません…。 日発のアカデミックな人文系のビデオゲームはいまのところ皆無といってよいので、これは非常に貴重な成果だと思います。こういうや論文がぽつぽつ出てくるようになるといいです。 こういうが出ることにかんしては手放しでめでたいんですが、内容についてはいろいろ言いたいことがあるので書いておきます。 お前論文でやれよという話ではあるんですけど、軽いノリでコメントしたいのでブログに書きます。ちゃんとした議論は、そのうちちゃんとしたかたちで出せたら出します。 3回くらいに分けます。今回コメントするのは以下の論文。 吉田寛「ビデオゲームの記号論的分析―〈ス

    『ゲーム化する世界』について (1/3) - 9bit
    gauqui
    gauqui 2013/06/25
  • ダントーの「アートワールド」は後半が面白い - 9bit

    昨日の勉強会で話題にのぼったのでまとめておきます。 ダントーの有名なアートワールド論文は、前半部分、つまり、芸術の定義にかかわる「アートワールド」概念や、芸術作品の同一性や解釈にかかわる不可識別性の議論ばかり取り上げられる印象があるけど、実は後半部分のほうがおもろいんやで、という話。 Arthur C. Danto, "The Artworld," The Journal of Philosophy 61 (1964): 571-584. 扱うのは4節です。3節までで芸術作品を可能にしているのは理論なのだーという主張をくどくどしたあとに、ダントーはそのような理論が実際に作品やその経験にどのようなしかたで関係するのかについてわりと唐突に議論しはじめます。 ダントーはまず「種類Kに関連ある述語」(K-relevant predicates)という概念を導入する。これは「Kに属する諸対象に、意味

    ダントーの「アートワールド」は後半が面白い - 9bit
    gauqui
    gauqui 2013/06/25
  • 「ゲーム性」を美学的に分解する - 9bit

    海道賢仁さんの以下の記事(とくに2)をネタに考えたことなど。 まるさんかくきかく〜ゲーム屋稼業〜: 第16回 謎の用語「ゲーム性」を説明してみた(1)~問題提起編 まるさんかくきかく〜ゲーム屋稼業〜: 第17回 謎の用語「ゲーム性」を説明してみた(2)~解決編 まるさんかくきかく〜ゲーム屋稼業〜: 第18回 謎の用語「ゲーム性」を説明してみた(3)~高けりゃいいってもんじゃない編 これまでに見た「ゲーム性」概念の用法の整理のなかでは、圧倒的にクオリティが高い(井上明人さんの某卒論もすごいが、言説史的アプローチなのでまたちょっと毛色がちがう)。 海道さんの基的な考えは以下。 「ゲーム性」という用語を使う場合、その文脈によって以下の3つの意味に大別できると考えています。 広義のゲーム性 = fun factor 狭義のゲーム性 = core game play mechanics 面白さを表

    「ゲーム性」を美学的に分解する - 9bit
  • ビデオゲームは芸術か - 9bit

    っていうタイトルで紀要に書いた論文が出たので、PDF公開しておきます。 松永伸司「ビデオゲームは芸術か?」『カリスタ』19 (2012): 24-55. 稿の目的は、この問いを明確にすることである。結果として問いに対する一定の答えも提示することになるが、議論の焦点は、答えそのものよりも問いの定式化にある。つまり、「ビデオゲームは芸術か」と問われるとき、そこでなされているのは実際にはどのような問いなのか、そして、それに答えるにはどのような前提が必要なのか、という点を中心に論じる。 といったものです。ようするに、そういう問いを立てるのなら最低限これこれこういったことは考えとくべきなんではないかという話です。 章立ては以下: 1. 問題の設定 1.1 問いと議論の実例 1.2 前提としての芸術の定義 1.3 芸術作品と芸術形式 1.4 稿の意義 2. 芸術形式の定義 2.1 人工物形式 2.

    ビデオゲームは芸術か - 9bit
    gauqui
    gauqui 2013/06/21
  • 画像表象のサーベイ論文 (3) - 9bit

    ひきつづき、画像表象のサーベイ論文(Kulvicki 2006b)の紹介です。 今回は、基的にKulvicki自身の構造説(Kulvicki 2003; 2006a)の内容。このサーベイ論文では書いてないが、Kulvickiが提示する画像表象の個別に必要かつあわせて十分な条件は、以下の4つ: (1) 相対的充満(relative repleteness) (2) 統語論的敏感(syntactic sensitivity) (3) 意味論的豊富(semantic richness) (4) 透明性(transparency) (1)(2)(3)はグッドマンの相対的充満、統語論的稠密、意味論的稠密をそれぞれ修正したものなので、グッドマンとKulvickiの決定的なちがいは、(4)の透明性ということになる。 以下、論文の内容。〔〕内と注と小見出しは補足。 Kulvickiの構造説 透明性 グッ

    画像表象のサーベイ論文 (3) - 9bit
    gauqui
    gauqui 2012/08/12
  • 画像表象のサーベイ論文 (2) - 9bit

    画像表象のサーベイ論文(Kulvicki 2006b)の紹介のつづきです。 〔〕内と注は補足。 Haugelandの内容説 内容説(content accounts)は、画像が持つ内容の諸特徴を取りあげ、その諸特徴が画像の知覚に対してどのような帰結をもたらすかを問題にする。 内容説は人気がない。画像の内容をそれ単独で論じているのは、以下のHaugelandのみ。 J. Haugeland, "Representational Genera." (1991) 画像表象の説明というよりも、より広いクラスである「図像的」(iconic)表象の説明を試みる。図像的表象は、言語的ないし「論理的」表象と対置される。 Haugelandは、(1) 表象の骨だけ内容(bare bones contents)と肉づき内容(fleshed out contents)を区別したうえで、(2) 図像的表象の骨だけ

    画像表象のサーベイ論文 (2) - 9bit
    gauqui
    gauqui 2012/08/12
  • 画像的再現のサーベイ論文 (1) - 9bit

    2020.02.22:「画像的再現」をすべて「画像表象」に置換しました。今後の用語法の統一のため。 John Kulvickiによる画像表象(pictorial representation)*のサーベイ論文が非常にまとまりがよくてすばらしいので、まとめる。 Kulvicki, J. (2006). "Pictorial Representation." Philosophy Compass 1(6): 535-546. Kulvickiは、いろいろやってるみたいだけど、芸術の哲学の文脈だと、長らくまともなフォロワーがいなかったとされるグッドマンの構造論的な表象理論を発展的に展開させてる人みたいなポジションの人だと思われる。2006年に画像表象についてのを出している(On Images)。最近出たコンパニオン(The Continuum Companion to Aesthetics)に

    画像的再現のサーベイ論文 (1) - 9bit
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