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ブックマーク / morinaoto.hatenadiary.jp (3)

  • 大衆教育社会と/の教育改革――苅谷剛彦『教育と平等』(中公新書)を中心に - もどきの部屋 education, sociology, history

    昨日、越後湯沢にて、拙稿「個性化教育の可能性――愛知県東浦町の教育実践の系譜から」(宮寺晃夫(編)『再検討 教育機会の平等』岩波書店、所収)を参考文献に指定させていただいたうえで、苅谷剛彦『教育と平等』(中公新書、2009年)を中心とした苅谷的な戦後日教育史像=大衆教育社会論とそのもとで展開した90年代以降の教育改革を考えるセッションを開催し、話題提供を行った。 題目は「大衆教育社会と/の教育改革――苅谷剛彦『教育と平等』(中公新書)を中心に」である。 もちろん、苅谷先生じきじきのご参加もあり、夜中までかけてエンドレス議論を繰り広げたわけである(途中から、というか最初から飲み会モード全開であったという事実は伏せておくことにしよう)。 上記の拙稿は『教育と平等』ですでに苅谷先生が論じている問題を参照しながらも、明らかに、さしあたりそれを等閑に付し、あえてそこから教育実践レベル(書の言葉で

    大衆教育社会と/の教育改革――苅谷剛彦『教育と平等』(中公新書)を中心に - もどきの部屋 education, sociology, history
  • hamachan先生と萬年先生からのコメント - もどきの部屋 education, sociology, history

    濱口桂一郎先生と田中萬年先生が、それぞれブログ上で宮寺晃夫(編)『再検討 教育機会の平等』所収の拙稿にコメントをくださいました。ありがとうございます。とくに田中先生のコメントは詳細にわたり拙稿が論じた射程をはるかに超える評論となっており、大変刺激を受ける点がありました。 そもそも「教育機会の平等」というテーマが与えられて、もしも私のフリーハンドで論題が選べたなら、きっと私は佐々木輝雄氏の「教育の機会均等のパラドクス」をとりあげたことだろうと思います。そのことを制度の次元で論じ、その後、制度から実践へ、というベクトルで考察を敷衍しただろうと思います。 しかし今回は編者の宮寺先生から「個性尊重教育をめぐるテーマで」という要請をいただきましたので、この論題に即して実践を論じつつ、実践から制度へ、という方向の志向を(明示しないまま)基底に据えています。 その点で、 森さんの「個性化」には期待がある

    hamachan先生と萬年先生からのコメント - もどきの部屋 education, sociology, history
    gauqui
    gauqui 2011/08/17
  • 「生きる力」(泣)の歴史観:後編 - もどきの部屋 education, sociology, history

    さて、と(また長いよ、中身ないけど)。 戦前について『近代日カリキュラム政策史研究』(風間書房、1997年)、戦後について『現代日教育課程改革 ―― 学習指導要領と国民の資質形成』(風間書房、1992年)、という分厚い実証研究の方は参照しておらず、この(『学習指導要領は国民形成の設計書』(東北大学出版会、2010年))の内部だけで話をする(きちんと勉強すべき人は↑の2冊へ)。 たとえば大田堯(編)『戦後日教育史』(岩波書店、1978年)の後半(3章・4章;いわゆる「逆コース」から60年代・高度成長期にかけて)のように「国民教育運動」に棹さしながら「教育の国家統制」批判の論脈と歴史像とをシンクロさせる叙述――端的にいえば「文部省vs.日教組」図式のもとで後者にコミットした歴史像の構築――のタイプと対照したときに、どのような歴史像として読めるか、あるいは“あえて”読み込むか、という問

    「生きる力」(泣)の歴史観:後編 - もどきの部屋 education, sociology, history
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