お弁当のご飯を「ブロッコリー」に変えてくれるお弁当屋さんが、東京・渋谷にあるようです。ご飯をブロッコリーに……? 画像提供:ひらい さだあきさん ……! 本来真っ白のご飯で埋め尽くされるはずの一区画が、見事に緑色に染まっています。 このお弁当屋さんは東京・渋谷にある「宅配弁当 京香」。なぜこのような取り組みを始めたのか聞いてみました。 アイデアを思い付いたのは京香渋谷店の店長内山さん。ある日、アーノルド・シュワルツェネッガーさんも所属するというジム「ゴールドジム」のマネージャーと知り合う機会があり、「プロテイン(タンパク質)的なお弁当を作れないか」と相談されたそうです。そこで内山さんがゴールドジムの会員向けに作ったのはブロッコリー、オクラ、ササミといったタンパク質を中心としたご飯の入っていないのお弁当。このお弁当の評判が良く、一般にも販売できないかと考えました。 そして生み出されたのが、通
働けば暮らしが良くなる――そんな時代が、わたしが生まれる少し前まではあったらしい。わたしにとってはカンブリア紀とほぼ同等の現実味ですが、われわれ30代を「夢がない」だの「覇気がない」だのと好き勝手に評してくださる年長者は、いまだその幻想の中に生きているようです。 少なくともわたしには、大きな野望と呼べるようなものはなく、会社員兼文筆家としてもそこそこ楽しく仕事をし、休日には旅行したりレイトショーで映画を観る暮らしがずっと続けばいいなと思っています。今やそれこそが、大きすぎる望みなのかもしれませんが。 映画といえば、先日3回目の『マッドマックス 怒りのデス・ロード』を観てきました。核戦争後の世界で、独裁者イモータン・ジョーが支配する砦を女戦士フュリオサとジョーの妻たち、そして巻きこまれ系の主人公マックスがぶっ潰すお話です。 ジョーは悪役というよりむしろ有能な為政者で、短命な兵士にも信仰を与え
【平和自由宣言 前文】 私たちの民主主義はここから始まる。 戦後七十年の年に。 新たな私たちの『戦無民主主義』は。 長くかかるかもしれない旅のために私たちは、ひとりひとりのかたわらにこの宣言を置く。 【平和自由宣言 1】 私たちは平和を求める。 それは自由を求めることと同じである。 したがって私たちは宣言の名に平和自由と並記する。 平和抜きの自由はなく、自由抜きの平和はない。 私たちはふたつを同時に目指す。 どちらかを諦めて後回しにするなら、もう一方も失ってしまうから。 【平和自由宣言 2】 平和自由を目指す運動は、参加するあらゆる個人を守り解放する。 そうでないならば結局、運動は対抗する権力と同じである。 運動のために個人が抑圧されてはならず、むしろ個人のためにこそ運動は是正され続けなければならない。 それが不可能ならば運動は内部から疑われるべきだし、時に差し止められても構わない。 【平
私が子どもの頃、NHKの夜7時のニュースのトップ項目は、いつもベトナム戦争でした。大学生のお兄さん、お姉さんたちがいつもデモをしていて、巷(ちまた)ではこういう歌が流行(はや)っていました。 戦争を知らない子供たち(作詞:北山修 歌:ジローズ) 2番ではこう続きます。 若すぎるからと 許されないなら 髪の毛が長いと 許されないなら 今の私に 残っているのは 涙をこらえて 歌うことだけさ (「戦争を知らない子供たち」作詞:北山修 歌:ジローズ ) ベトナムに爆弾の雨を降らせているアメリカという悪い国に対して「戦争をやめて!」と訴える歌です。デモをしていたお兄さんたちも、同じ気持ちだったのでしょう。反戦平和。なんと美しい言葉! でも今はこう思います。 戦争は一つの国だけでするものではありません。必ず相手がいるのです。ベトナム戦争は、アメリカ+南ベトナム政府軍と、北ベトナム+南ベトナム国内のゲリ
沖縄にある、アメラジアンスクールを追ったドキュメンタリー番組を観た。英字で「Amerasian」、アメリカ人とアジア人の両親の元に生まれた子どもたちが通う民間の学校だ。親の離縁などの理由によって、基地を出て、この学校に通うことになった子供たち。煩悶しつつも、境遇としっかり向き合っている。 基地問題に揺れる沖縄を、基地から出てきた子どもたちにどう教えるか。アメラジアンスクールでは、日本の教科書とアメリカの教科書を比べながら、双方の捉え方を教えている。オリジナルで作られた教科書は「米軍基地を広げるために土地がうばわれたり、軍用機の事故に住民がまきこまれたりしました」と日本からの視点が書かれる一方で、アメリカの視点、「冷戦の中でソ連を封じ込めるためにいかに基地が必要だったか」についても伝えていく。 卒業を迎える女の子は、入学当初、「ハーフ」であることに戸惑っていたが、この学校で「ダブル」の考えを
私は台湾、ベトナムと日本の血を引いています。それぞれの国の家族に戦争体験者がいて、第二次大戦中に乗った客船がアメリカの潜水艦に撃沈された台湾の家族もいれば、日本の敗戦と同時にロシア兵に追われて満州から大変な思いで帰国したり、広島の原爆投下で被曝したり、ベトナム戦争では敵味方に分かれて戦った家族もいます。いずれの場合も深い悲しみの痕跡が、家族の歴史に刻まれたことは言うに及びません。 Photo by manhhai(CC BY 2.0) 私自身は戦争を経験していません。フランス国籍の人間としては、かつては兵役が存在したのですが、ちょうど私の代で兵役が廃止されたので、軍隊生活も経験していません。なので、戦争に関する現実味のある情報としては、かつての戦争を生き延びた家族の話しか知りません。 しかし、私の生まれ育った現代でも戦争が絶えたことはないし、いまも国家間やテロリスト集団の闘いに巻き込まれる
正直どうでもいいというか、オリンピック自体にあまり興味がなく、下の記事のような感覚で騒動を見ていた。だいたい、騒いでる人達のTwitterだって、そのアイコンどこのアニメから持ってきたよ?ってのも結構いるじゃね、とか。 ところが、あれよあれよという間に騒動は大きくなり、とうとう佐野氏の手掛けた作品のなかに、素材の「無断借用」と思しきものが見つかり、一部は取り下げが始まった。これは「パクリ」ではない。けれども、大阪芸大の純丘教授が言うように、「もう駄目かもしれない」。 何故なら、どうも傍から見ている限り、エンブレムのデザインが「パクリ」かどうか以前に、そもそも「気に入らない」から騒動には火がついているように見えるからだ。発表当初から「喪章のようだ」「躍動感がなくオリンピックらしくない」と散々に評判が悪かったわけだけれど、「気に入らない」から騒動が始まっている以上、たとえ何とか盗作の誹りを免れ
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