ブックマーク / mojix.org (2)

  • ポジショントーク大歓迎 - モジログ

    ネットではしばしば、「それはお前に都合がいいだけのポジショントークだ」といった批判を見かける。 別にポジショントークでもいいんじゃないか?と私は思う。 ポジショントークかどうかが重要なのではなく、その人の言っていることが妥当なのか、有益な見方を含んでいるのかどうかが重要だろう。 「それはポジショントークだ」と批判する人は、要するに「もっと客観的な立場から発言せよ」と言っているのだと思うが、完全に客観的になることはそもそも不可能だ。それに、ヘタに客観的であろうとすると、何を言っても主観的になるように思えてきて、保留だらけの意味不明な発言になったり、結局何も言えなくなったりする。これはちょうど、失敗やリスクを徹底的に回避しようとすると、結局何もできなくなるのと似ている。 以前、ポール・グレアムの「反論ヒエラルキー」を紹介したことがある。 反論ヒエラルキー http://mojix.org/20

    gebet
    gebet 2011/09/04
  • Zopeジャンキー日記 :規格外の東大名誉教授、西村肇

    Rauru Blogの「確かに、まず日語ではあるが」に引用されていた、以下の言葉にピンとくるものがあった。 <したがって結論として言えば、私は単純に日語をロジカルにしようとする努力には疑問を感ずる。日語の目的はロジカルな対話とか議論による決着にあるのではなくもっと別のところにあるのだろう。それは比較的均質な人間集団がまとまって行動するために「雰囲気」を作るコトバとして発達したのであろう。上下関係と対面を気にし、しかも嫉妬心が強い社会の中で上下に自己実現をはかるためには欠かせない表現手段だと思う。それはそれで非常に大事なことではないか。ロジカルな表現で議論する必要があるなら、それに適したコトバでやるほうがよい。英語でやるほうがよい。日人同士でも。これからは、それができる教育が必要だと思う。そしてその影響が自然に日語にもおよんで来るというのが、実際的な解決だと思う>。 私も、日語は

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