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2019年3月17日のブックマーク (4件)

  • 日系平社員から外資系管理職に転職したら地獄しかなかった件

    転職して約半年が過ぎました。 転職はいつでも最初はしんどいものですが、 日系メーカーから外資系へ平社員から管理職へというダブルのキャリアチェンジは想像以上です。 32歳でかれこれ4社目ですが、キャリアも生活も一変した半年… ゆるふわ内資で過ごした8年以上のものはすでにアウトプットしているでしょう。キャリアアップはできているかもしていませんが、とにかくタフな毎日が続いています。 研究職でジョブホッパーという歪なキャリアを選んでしまいましたが、外資は転職しやすい反面、リスクも抱えています。転職先選びは慎重に! この記事では日系→外資&ノンマネ→マネージャーに転職し、試行錯誤しながらサバイバルしてきた半年間をまとめていきます。 筆者の経歴|なぜハードな方向に転職してしまったかまずは私の経歴と転職理由をカンタンに。 今の会社に勤める前は、中堅品メーカーの研究開発として働いていました。 ささやかな

    日系平社員から外資系管理職に転職したら地獄しかなかった件
    georgew
    georgew 2019/03/17
    日系・外資問わず、転職は実際に入社して1ヶ月程度働いてみるまで自分に合うかどうかわからない不確実性の怖さ。
  • NHKも優遇なし 青山アナに「育休中の給与返せ」批判の誤解|話題の焦点

    大橋巨泉さん(2016年死去)は生前、深く考え込みながら「人間が生まれてくる意味は結局、子供を産み育てることなんです」と語っていた。宇宙の真理、平和といった解決不能な事象も、後世の人に答えを託すしかないという意味だった。 一方、「為せば成る」の米沢藩主・上杉鷹山は人口増こそが富の源泉という考え方で、困窮する藩財政から出産手当金と子だくさん家庭に、児童手当を支給したものだ。 この先達の考えに逆行した意識が国内で高まっている。退職の意向が明らかになったNHKの青山祐子アナウンサー(46)がネット上で猛批判にさらされているのだ。彼女は12年3月の第1子を皮切りに、17年2月までに4人の子(2男2女)を出産。およそ6年間にわたり産前産後休暇と育児休業を取得し、現在も育休中。批判の多くは「育休中にもらった給与を返還しろ」「公務員ならまだしも民間ではありえない」といった内容。出産自体には賛同を示しつつ

    NHKも優遇なし 青山アナに「育休中の給与返せ」批判の誤解|話題の焦点
    georgew
    georgew 2019/03/17
    なんなんだ、この足の引っ張り合い状況ってのは。これほどおおらかさの失われた社会は生き地獄としか。
  • 「ほとんどの昆虫はおいしいと、みんなに知ってほしい」昆虫料理研究家・内山昭一さん|クレイジーワーカーの世界|【パソナキャリア】パソナの転職エージェント

    「自分の仕事が好き」。心からそう言いきれる人は、どれくらいいるのだろうか? あるいは、どれくらいの人が「夢中になれる趣味」を持っているのだろうか? 賃金や名声のためではなく、人生を賭するライフワークとして仕事趣味に打ち込む。結果、一般的な幸せやレールから外れることになっても、おかまいなしに没頭し続ける。そんな、少しはみだした「クレイジーワーカー」の仕事人生に迫る連載企画。今回お話を伺ったのは、昆虫料理研究家の内山昭一さんだ。 ある日、トノサマバッタのおいしさを知ったことで昆虫に開眼し、これまで100種類以上の虫料理をおいしくいただいてきた内山さん。昆虫料理の「レシピ」をはじめ、関連の著作は多数。15年以上にわたり昆虫料理のイベントを開催し続けるなど、その活動は趣味の域を大きく超えている。材としての昆虫に魅せられた、内山さんの生きざまに迫る。 ── 日はご自宅での取材にご協力いた

    「ほとんどの昆虫はおいしいと、みんなに知ってほしい」昆虫料理研究家・内山昭一さん|クレイジーワーカーの世界|【パソナキャリア】パソナの転職エージェント
    georgew
    georgew 2019/03/17
    貴重な蛋白源であることはよく知られてはいるものの...。
  • 髭男爵・山田ルイ53世さんの上京物語。ブレイクして初めて「東京に来た」感じがした - SUUMOタウン

    インタビューと文章: 戸部田誠(てれびのスキマ) 写真:関口佳代 進学、就職、結婚、憧れ、変化の追求、夢の実現――。上京する理由は人それぞれで、きっとその一つ一つにドラマがあるはず。地方から東京に住まいを移した人たちにスポットライトを当てたインタビュー企画「上京物語」をお届けします。 ◆◆◆ 今回の「上京物語」にご登場いただくのは、お笑い芸人・髭男爵の山田ルイ53世さん。 成績優秀で「神童」と呼ばれ、地元・兵庫県で有数の進学校に合格しながらも、中学2年生から引きこもりに。大検を取り大学に通うも中退し、「逃げるように」上京したそうです。 短くない下積みを経て「ルネッサーンス!」のフレーズとワイングラスでの乾杯漫才で大ブレイクしましたが、その後、テレビ仕事は激減し「一発屋」と呼ばれるようになりました。現在は、執筆業で再び注目を浴びている山田さん。そんな激動の東京生活について伺いました。 6年

    髭男爵・山田ルイ53世さんの上京物語。ブレイクして初めて「東京に来た」感じがした - SUUMOタウン
    georgew
    georgew 2019/03/17
    夢が叶わなかった人でも、東京にはしんなりと生きていけるキャパがあるとも思うんですよ > 一口に東京といってもほんと広いからなぁ。東西南北街の様相が全然違うから、自分に合った居場所はどこかしら探せる都会。