アメリカのAI研究企業「OpenAI」は、文章から超ハイクオリティーな画像を生成できるAIの最新バージョン『DALL・E 2』を今年4月に発表した。 そこでOpenAIのマーケットマネージャーであるアダム・ゴールドバーグ氏は、「ハンバーガーを手にするバーガーキングの油絵の肖像画」という文章をDALL・E 2に入力した。 すると、血に飢えたヘンリー8世にも負けていない、恐怖の大魔王みたいなバーガーキングが仕上がったようだ。
この画像を大きなサイズで見る フランスとその風光明媚な田舎の風景を思い浮かべるとき、絵のような村や広大なブドウ畑、夏にうねった道をご機嫌なドライブのできる、どこまでも続く緑の丘などを想像するかもしれない。しかし、こんな美しい風景の片隅に、1世紀近くも人の立ち入りが禁止された、ゾーンルージュ(レッドゾーン)がある。 現在でも、パリとほぼ同じ広さの100平方キロ近くが、一般の立ち入りや農地利用を法律で厳しく制限されている。その理由は、いまだに世界大戦の戦場跡に残る、おびただしい数の遺骸や不発弾が回収しきれていないからだ。 第一次大戦後、途方もない数の不発弾や人間や動物の遺骸の回収が追いつかず、フランス政府は該当地区の住民の強制的な移転を決め、立ち入り禁止区域にした。地図上からまるごと抹消された村は、戦争の犠牲者だと考えられた。 この画像を大きなサイズで見る “破壊された村、デュオモン” この画
この画像を大きなサイズで見る 「世界で最も悲哀に満ちた仕事」 として海外サイトで特集されていたのは、日本のものだった。高齢化社会が進んでいる日本では、孤独死で亡くなる人は年間約3万人とも言われている。2015年のひとり暮らし高齢者は約600万人とも言われており、公営住宅 4分の1が単身高齢者である。 特に隣家との接触のない都市部などは、誰からも看取られることなくひっそりと亡くなり、死後数日から数ヶ月(長いケースでは1年以上という事例もある)経って発見されるケースが多い。 そんな孤独死した人の部屋を片付け、遺品処理を行うのが、「特殊清掃業者」と呼ばれる専門の業者である。腐乱した遺体は警官がすでに搬送した後であるが、汚れたままの洗い物、未開封の郵便物、数年前のカレンダーなど、主人のいなくなった部屋には生活の痕跡が生々しく残されたままだ。 今年3月、東京の下町にあるアパートで85歳の老人の遺体が
パラドックスとはある前提に対して、全く違う(しかしどちらも誤りではない)方向性から、お互いに矛盾し合うが、どちらも正しく思える結論を導き出してしまう現象の事だ。 過去数十年にわたり、パラドックスは哲学の分野で大きく注目されている。ここでは世界的に有名な10のパラドックスを紹介しよう。 アキレスと亀(ゼノンのパラドックス) この画像を大きなサイズで見る 「アキレスと亀」は紀元前5年の古代ギリシャの自然哲学者エレア派のゼノンによって提唱されたパラドックスだ。このパラドックスの物語はかの有名なアキレスがリクガメと徒競走を行う所からスタートする。 アキレスはレースが始まる前、リクガメとの競争を平等にするため、リクガメを500メートル程先の地点からスタートさせる事にした。もちろん人間であるアキレスはリクガメより足が速いので、直ぐにリクガメに追い付き始める。 ここでアキレスが500メートル地点に着いた
この画像を大きなサイズで見る 世界人口の約1%を占めるといわれるサイコパス(精神病質者)。共感能力の欠如、罪悪感の欠如、衝動的、人を巧みに操る、表面的にはチャーミングなどがその特徴として挙げられる。ここではサイコパスに関する10の事実を見ていくことにしよう。 10. 恐怖を認識できない この画像を大きなサイズで見る ほとんどの人は、大きく見開かれた目や今にも叫び出しそうな口元といった顔の表情に、他人の恐怖のサインを見いだし、「この人は恐怖を感じている」と認識することができる。しかし、サイコパスにはそれがわからない。恐怖のサインを無視しようとしているわけではなくて、そもそも恐怖という概念がないのだ。 さまざまな研究の結果、サイコパスは、脳のなかでも特に恐怖の感情を司る扁桃体の大きさが、普通の人よりも小さいことがわかっている。自分も恐怖を感じることがなく、恐怖の意味がわからないから、他人が恐怖
犬が子どもを救ったケースはいろいろあるが、またしてもここに、犬によって救われた子どもがいたようだ。ベンジャミンとホープ・ジョーダン夫婦は、昨年仕事の関係で米サウスカロライナ州チャールストンに越してきた。そこでベビーシッターを雇ったのだが、ベビーシッターがいると、必ず飼い犬のキリアンさんが生後7か月の息子にぴったり寄り添い、すごく保護的になるという。 これは何かあるとにらんだジョーダン夫妻は、ベビーシッターに子どもを預けている間、その様子を録音することに。するとそのテープには驚くべき内容が録音されていた。 ジョーダン夫妻はチャールストンに越してきて後、ベビーシッターとしてアレクシス・カーン(21歳)を雇った。その時はとても良い人そうに見えたので、これならと夫人が決めたそうだ。 約5か月くらいベビーシッターとして働いてもらっていたのだが、ベビーシッターがいると、飼い犬のキリアンさんが決まって息
2007年の経済危機以降、米国での自殺率が急上昇しているという報道があった。科学者らは米疾病対策センター(CDC)によるデータを分析した結果、1999 – 2007年の自殺率は緩やかに上昇していたのに比べ、2008 – 2010年では増加率が4倍以上となったと指摘した。 景気後退が自殺を後押しをする形となったわけだが、他にもこんな研究結果が発表になった。 サンフランシスコ連邦準備銀行の調査によると、自分より裕福な隣人がいる人は、それほど裕福でない隣人がいる場合より自殺する率が高いという。 どうしても隣人と自分を比べてしまう 例えば同額の年収を得ている人が2人いたとして、近所の人がより年収の高い地域に住んでいる人は、近所の人が年収の低い地域に住む人より4.5パーセントも自殺しやすい傾向にあると言う。 この研究から、隣人の年収と、幸せと感じる度合いには相互関係があることがわかった。 以前の研究
今年の夏に択捉島を旅したロシア人旅行者の記録画像が公開されていた。 wikipediaによると、千島列島南部に位置する択捉島は「北方領土」の中で最大の島であり、島の大きさは、本州・北海道本島・九州・四国に次ぐ。 第二次世界大戦末期に日ソ中立条約を一方的に破棄したソ連軍により武力占領され、現在はロシア連邦の不法的実効支配下にある。ロシア側行政区においては、国後島や色丹島とは別の行政単位であるサハリン州クリル管区に位置付けされている。 ソース:Beautiful Iturup Island | English Russia 1945年8月28日のソ連による占領以降、日本人とロシア人との混住状態が1年以上続いたが、同島からの日本人の本土引き揚げは、1946年12月から本格的に始まり、1948年までにおおむね終了したそうだ。 現在択捉島の人口は6,739人。かつての中心地である紗那(クリリスク )
昭和44年(1969年)に出版、発売されるも、「絵とストーリーが恐ろしすぎて子どもがひきつけを起こした」とのクレームが入り、たった1週間で販売中止となったいわくつきの絵本があったそうだ。 もともとはアフリカの民話で、それを翻訳し、毒々しい色彩の絵を織り交ぜながら綴ったものなのだが、感受性の強い昭和の子どもたちには、強烈なインパクトを与えてしまったようだ。 この動画はその絵本をスライドショー仕立てにしたもの。 ストーリーは、腕の立つ狩人だった「くもだんな」と、いじわるな奥さんに、いいようにパシリをさせらされていた「カエル」の復讐劇。ある時カエルは一計をめぐらせ、「くもだんな」の口からうまく入り込み、心臓のそばにもぐりこむ。カエルは「くもだんな」の心臓を噛みながら、理不尽な命令を下していくのだった。そして最後は、村が滅びる寸前まで、「くもだんな」に命令をし続けていくというゾっとする話なのだ。
デンマークのオールボー動物園で生まれたシロクマの赤ちゃん。現在生後3ヶ月で、初めて見る雪に大喜びなんだそうだ。お母さんが雪の上につけた足跡が面白くて仕方がないみたいだよ。 ソース:Polar Bear Cub Meets the Snow – ZooBorns
この世のすべての現象は絶えず変化していくもの。本質を含めた存在は常に流動的であり、その場にとどまることを知らない。これは仏教テーゼのひとつ「諸行無常」の悟りなのだが、都市空間もそのひとつ。 人の心と同様に、都市の姿もこんなにも変化しているんだ。今現在我々が存在しているこの世界も、刻々と変化していく必然をかみ締めながら見る、世界25都市の変化を垣間見る今と昔の物語なんだ。 ソース: How the Cities Have Changed (55 pics) 1.ドバイ 1990年代 この画像を大きなサイズで見る 2011年 この画像を大きなサイズで見る 2.ブラジル セアラ州 フォルタレザ 1970年代 この画像を大きなサイズで見る 2011年 この画像を大きなサイズで見る 3.日本 東京 1945年代 この画像を大きなサイズで見る 2011年 この画像を大きなサイズで見る 4.韓国 ソウル
アメリカで中指を立ててはいけないということは、みんなも知っていると思うんだ。これは、相手を侮辱するためのジェスチャーなんだけれど、状況によっては「決闘」を覚悟しなければならないほど、相手を怒らせてしまうもの。
1883年、日本では明治16年、鹿鳴館落成のとき、イギリスのロンドンは、こんな町並みだったみたいなんだ。建物の構造や、広告の文字までよくわかる、この当時にしては貴重な写真なんだそうだ。 ソース: Really funny stuff – Amazing Pictures of Old London この画像を大きなサイズで見る この画像を大きなサイズで見る この画像を大きなサイズで見る この画像を大きなサイズで見る この画像を大きなサイズで見る この画像を大きなサイズで見る この画像を大きなサイズで見る この画像を大きなサイズで見る この画像を大きなサイズで見る この画像を大きなサイズで見る この画像を大きなサイズで見る この画像を大きなサイズで見る この画像を大きなサイズで見る この画像を大きなサイズで見る この画像を大きなサイズで見る この画像を大きなサイズで見る この画像を大きなサイ
1926(昭和1)年12月25日から1941年(昭和16年)の真珠湾攻撃まで、昭和初期の日本の様子がよくわかる映像がYOUTUBE動画にて公開されていたので見てみることにしようそうしよう。 広告 昭和初期の日本(その1) 昭和の始まり、ツェッペリン伯号来日(昭和4年)、慢性的不況、大卒の新卒9割が就職できず、頻発する労働争議、最初の普通選挙、治安維持法と社会主義者弾圧、政党内閣時代の終焉、悲惨な農村と娘の身売り 昭和初期の日本(その2) 満州事変(昭和6年)と満州国、リットン調査団、満州への国策移民、モガ・モボ、上海事変(昭和7年)、非常時日本、松岡洋右と国際連盟脱退(昭和8年)、肉弾三勇士、急速な軍国化
九龍城砦は、香港・九龍の九龍城地区のことで、かつてはそこに巨大なスラム街が形成されていたところ。 1898年、イギリスが中国清朝から香港島や九龍に隣接する新界、及びランタオ島をはじめとする香港周辺200余りの島嶼部を99年間租借したのだが、九龍城砦は例外として租借地から除外され清の飛び地となった。後にイギリスの圧力で清軍・官吏等が排除されてしまい、以後中国大陸が中国国民党率いる中華民国となって以降も、事実上どこの国の法も及ばない不管理地帯となったんだ。 香港政庁の力も、英国の管理も及ばないこの地に、中国大陸からの流民がなだれ込みバラックを建設、その後スラム街として肥大化していった。「東洋の魔窟」と呼ばれ、「アジアン・カオス」の象徴的存在となっていた。 1984年の英中共同声明により香港が1997年に中華人民共和国に移譲、返還されることが確定。1984年、香港政庁が九龍城砦を取り壊し、住民を
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