突然何を言い出すのかという話ですが、対話相手にコミュニケーション能力を求める醜さについて書きたくなったので書きます。 僕はオタクだったしスクールカーストで言うと下の方を彷徨ってきた。地元でもいろいろあって浮いていた。新卒時の就活も散々だった。なので、コミュ力がないことは自覚しているし、だからこそ「コミュニケーション能力」という言葉には警戒心があります。 比較的マイノリティであったことが多かった経験上分かったのは、相手とコミュニケーションが取りづらいな、と思うときは、そもそもプロトコルが異なる、ということです。 これは、話している自然言語が違うようなものだと考えるとわかりやすい。例えば、自分が日本語しか話せず、相手がロシア語しか話せないのであれば、まともなコミュニケーションが成り立たないのは明らかです。そして、その時に、日本語が話せない相手にコミュ力がないと思うような人はいないでしょう。 そ
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