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わかるに関するgitanezのブックマーク (26)

  • わかりにくさ、あいまいさの必要性: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 最近よく思うこと。 理解されすぎちゃダメ。理解されるより理解しようというきっかけになることが大事だなって思う。 1つの固定した「理解」を伝えようとすれば、どうしても押し付けにならざるをえない面がある。けれど、実際の「理解」は決して1つではない。ある事象にはさまざまな「理解」があっていい。いや、ないといけないと思う。 いまって「理解」を固定することで、安心したがる傾向が強すぎるのではないか。すぐに答えを求めがちで、自ら答えをつくることしかないということに対して腰が引けてしまっているし、そんなこと考えてもみない人がいたりする。 そんな人に「理解」を安易に渡してしまうことに、僕は最近戸惑いを感じています。それは相手の思考停止の片棒を担ぐことになってしまうから。 「伝わっていない」

  • 本はむずかしいくらいがいいのかも: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 最近ひそかに思ってること。それはってむずかしく感じるくらいのほうが読む自分にとっては価値があるのかもっていうことです。 むずかしさを感じるのは、それだけ読む自分の側に知らないこと、考えが及ばないことがあるということだと思います。単純に言葉を知らないとか、登場してくる人や物事について知らないとか、書かれていることの背景について知らないとか、いろいろありますよね。あるいは、著者の頭のなかにあるもの、文章として表現されている内容が複雑すぎたり、高度すぎたりして、いまの自分にはわからないというケースもあります。 わからないことに触れられること自体に価値があるでも、一度読んだだけではわからなくても、そのわからないことに触れられること自体に僕は価値があるんだと思うんですよね。何よりそ

  • Amazonアソシエイト 2008年注文数ベスト20: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 2008年最後のエントリーはこれで。 当ブログで今年注文の多かった、ベスト20を紹介しておきます。 昨年に引き続きランクインしているがあるのが結構驚きです。 Amazonアソシエイト 2007年注文数ベスト20 また、先日僕自身が「冬休みの読書におすすめする16冊の」でピックアップした今年の16冊とかぶるものが少ないというのは、ちょっとさみしかったりもします。 そんなことを感じつつも、まずは20位から17位。 ※書評名/著者名のリンクは当ブログ内書評です。 20位 脳と日人/松岡正剛、茂木健一郎今年のはじめに紹介したです。松岡さんの茂木さんの言葉のキャッチボールのアクロバティックさに驚いたものです。科学と日を同時に考えさせてくれた面白い一冊でした。19位 知の編

  • わかること。それはガイドブックも道案内もない冒険の旅: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 なんなんでしょうね。自分の頭で考えて答えを出すということが身についていない人が多い、この状況は。あるいは、自分でやってみて理解しようという基姿勢のなさは。いったい、なんなんでしょうね? 前に「を読んだり、他人の話を聞いただけで、何をわかろうというのですか?」というエントリーで、「どこがスタート地点で、なんとなくどっちの方向に、どんな風に進めばいいかの見当だけつけたら、あとは自分の足で崖から飛び降りてみない限りは、わかるはずもない」と書きましたが、そういうこと自体、よくわからない人が結構いるみたいです。どうも正しい答えがないことがあるというのが想像できないようなのです(困ったことに正しい答えを想定する人に限って、何が正しいのか、その基準を定義できていないんですよね)。 わ

  • 大事なことはわかることじゃない: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 今月はぜんぜんブログが書けてないですね。まぁ、この忙しさじゃ仕方ない面がありますけど。 そんな忙しさのなかでも最近思ったことをすこし。 自分の能力を高めるためには、を読んだり、誰かに聞いたりして、すぐにわかってしまうより、わからないことに自分でこだわってみることのほうが大切なことなんだなーと思います。 わからないことにこだわり、自分でいろいろ試して経験するなかですこしずつわかることが増えてくる。そういうわかり方を大切にしたいな、と。 わかった気にならないわかりやすい言葉を読んだり聞いたりして、わかった気になることって簡単です。でも、そういうのってあんまり役に立たない。役に立たないものをどんどんわかった気になって蓄積しても、それこそ役に立ちません。 それにわかった気になって

  • 知識受容力: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 いいから、とやかくいわずに一思いに飲み込んでしまえ。 そう感じてイライラさせられることがあります。ある知識を前に「これは○○向けだから、普通の人がやる とどうたらこうたら」などと言い訳がましいことをいう人を前にしたときに。 普通の人ってなに? じゃあ、その○○向けの○○の人は普通じゃないの? 自分では受け入れる力がないから他人に押し付けてるの? そんなことするくらいなら単に僕はいらないとはっきり拒否すればいいのに。 知識受容力というものがあると思うんです。 前にも書いたように、知識を受容するというのは、受容する前の状態から自分自身を変化させることです。変わらないならわかったことにならない。だから、知識受容力はある意味変身能力です。 逆に、知識を受容できない人は自分が変わらな

  • 書くスピード、理解のスピード: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 以前に書いた「間違えを恐れるあまり思考のアウトプット速度を遅くしていませんか?」、「スピードを上げたいなら速度を上げるんじゃなくてスタートを早めること」に続く思考・アウトプットのスピードに関するエントリーの第3弾として。 ブログを書いていてよく訊かれるのは、ひとつ書くのにどのくらい時間がかかるの?ということです。 答えは30分から1時間。 そう答えると、自分とそう変わらないことに安心する人もいれば、無反応の人もいます。 前者は自分でもブログを書いてる人、後者は書いてないか頻度が低い人です。 無反応な人の場合後者がなんで無反応かというと、30分から1時間と言われてもピンとこないからなんでしょうね。30分から1時間とわかっても、それが早いのか遅いのかわからない。比較対象としての

  • セグメンテーションとは: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 セグメンテーションとは、何でしょう。 マーケティングでは市場をある性質によって分け、各セグメントに対して適切な戦略を立案・実施したりします。その場合、事業上において重要なセグメントをターゲットと呼んだりします。 ようするに、分けることで分かるということです。 市場なら市場全体を特定の視点で分類することで、どのセグメントが自分たちの顧客なのかを知ること。あるいは、特定の製品のユーザー群を、製品利用に対する慣れと使いこなしといった視点で分類することで、各グループごとに、どうすればそれぞれのグループにもっと使いやすいデザインが可能かを考えることができるようになります。とうぜん、ペルソナ/シナリオ法の根幹にも、このセグメンテーションの発想はあります。 (注:ただし、ペルソナ/シナリ

  • 言葉を形にして理解する(あるいは、テーブルにもいろいろある): DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「図になっているとわかりやすい」と矢野さんは言った。 僕は、人の話している言葉はテトリスのブロックのように落ちてくる、と思っている。 そう。言葉はわかりやすい図にしてもらいたくて落ちてくるのだ。 言葉がテトリスのブロックのように落ちてくる僕は常々、人の話す言葉にも、に書かれた文章にも、テトリスのブロックのように、どれとどれをどう組み合わせればいいかを示す形があると思っています。 もちろん、テトリスのブロック同士もそうであるように、その組み合わせは決して1つの正解があるわけではありません。でも、意味をなす言葉であれば、必ずそれを構造的に組み合わせる形を、言葉は示唆してくれているのだと思います。 その形を、話を聞きながら、を読みながら、頭のなかで組み合わせていけば、図表にな

  • いつでも準備しておくこと: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「質問ができる人/できない人」に対する反響のなかに「その場ですぐに質問を組み立てることができない」という旨のものがありました。 あのエントリーそのものは「自分が興味をもって聞いた他者の話に適切な問いを立てることができるか/できないか」であって、即時性やスピードは求めていないので主旨からは外れますが、そもそも、その場で質問を組み立てられるかどうかは、スピードの問題じゃないと思うんですよね。 質問を即座に組み立てられるかどうかは能力じゃなくて準備の問題前に「スピードを上げたいなら速度を上げるんじゃなくてスタートを早めること」というエントリーも書いていますが、その場の対応速度を高めるのではなくて、前もって準備をしておくことのほうがよっぽど即時対応力を高めることができると思うんです

  • まずはテーブルに載せてみなけりゃはじまらない!: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 仕事をしていてよく思うこと。 どうして議論をはじめる前に、手持ちの事実すべてをテーブルの前に開示してみることからはじめようとしないのか? とにかく事実を見ないで仕事をはじめようとすることが多すぎる気がします。どうして自分の頭のなかにあるものをいったん外に出して、まわりと共有することからはじめようとしないのでしょう。自分の頭のなかは他人のそれとおなじだと思っているのでしょうか。自分が「赤」だといえば、それを他人もおなじように「赤」だと感じてくれると思っているのでしょうか。 議論の箱、そして、問題解決のボックスに入れるべき事実が目の前に提示されていなければ、どういう箱をデザインしていいか、そもそも箱のデザインのための議論をどういう方向にデザインしていいかもわからないはずです。僕

  • 本を読んだり、他人の話を聞いただけで、何をわかろうというのですか?: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 を読んでわかるようになりたい。誰かに教えてもらってわかるようになりたい。そういう声はよく聞くし、ブログでもよく見かけますが、果たして、そういう方法・姿勢でわかるようになることなんてあるのだろうかと常々疑問を感じています。 わからないことは誰かに教えてもらう、という方法自体は間違っていないと思うのです。 でも、その「教えてもらう」手段として、を「読む」、誰かの話を「聞く」という具合に、言葉に完全に頼りきっているのはいかがなものか? 未経験者が相手なら、言葉だけではレシピくらいしか伝えられない言葉で教えられるのなんてレシピ程度だと思うのです。 とうぜん、レシピだけわかっても料理をうまく作ることはできません。うまく作るためには自分で何度か実際に料理をしてみて、あー、こうすれば

  • 行動せよ(特に観よ): DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 「わかる」にも大きく分けて2種類ある。そう考えるとこの話はすこし整理できるのではないでしょうか。 今の日て、授業を受けるとそのことが分かったことになるのでしょうか。いつの間にかそういう勘違いをしている人が多くなっている気がします。ひどいのになると、人のブログを読んだだけ、を読んだだけで講義とかセミナーを開いてしまう人もいる。私の周りにも結構います。 ここで浅野先生が言ってるのは、片方の「わかる」のみになってしまっていることかと思います。 その「わかる」はすでに他人が情報化した(残り滓としての)情報を言語的な知識として記憶(記録?)すること。単なる暗記とほとんど変わらない「わかる」。意味はわかっているのでしょうけど、体感がない。よって、わかったことを人は上手に使えないタ

  • 木に学べ―法隆寺・薬師寺の美/西岡常一: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 先に「ほんまに賢いゆうのはどういうこと?」でも紹介しましたが、『木に学べ―法隆寺・薬師寺の美』は、法隆寺、薬師寺の修復・復元に関わり、最後の宮大工棟梁といわれた故・西岡常一さんが77歳当時(1985年)に語った話を口述筆記した一冊。 これを単なる仏教建築に関するだと思ったら大間違い。ものづくりをする集団をまとめる棟梁として、木のこと、人のこと、そして、神や仏のこと。すべてにおいて学ぶものがあります。 「棟梁は、木のクセ見抜いて、それを適材適所に使う」ことと語る西岡さんは、また「木のクセをうまく組むためには人の心を組まなあきません」とも言います。 ふつうの大工と宮大工の違いを「仕事とは『仕える事』と書くんですわな。塔を建てることに仕えたてまつるということです。もうけとは違い

  • 『ペルソナ作って、それからどうするの?』といっしょに読みたい参考文献:2.認知科学・UCD編: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 『ペルソナ作って、それからどうするの?』の第1章では、「デザインって何なのでしか?」という問題の整理をスタート地点にして、「ウェブの制作とデザイン」、「創造性とデザインの方法」、「ユーザーの行動とデザイン」、「ウェブサイトをデザインする際の境界線問題」と話を進め、現在のウェブデザインの問題点と課題を整理・指摘しています。 それを受けた第2章は「ペルソナ/シナリオ法とウェブデザイン」と題して、<「誰のためのデザインなのか?」という疑問に対して「誰のどんな問題を解決するのか」を明示するデザイン手法がペルソナ/シナリオ法>を紹介するとともに、「ユーザビリティとペルソナ」、「ユーザーエクスペリエンスとペルソナ」、「ペルソナを用いてインタラクション・デザインを考える」など、ペルソナ/

  • 言葉にするのを恐れちゃいけない。それは自分の財産をつくるために必要だから。: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 昨日紹介した、養老孟司さんと佐治晴夫さんによる対談集・『「わかる」ことは「かわる」こと』に、いまの学生は自分の考えを言葉にするのを恐れる傾向があるといった旨のことが書かれていました。すでにを人に貸してしまったので、正確な引用ができませんが、まわりに気を使いすぎるあまり、自分の考えを言葉にすることができないといった内容だったと思います。 もちろん、これは学生に限った話ではないと思います。若い人に限った話ではないと思います。他人と話ができない人は学生や若い人以外にもたくさんいます。ただ、こういうことを言われる対象が学生や若い人なのは、若ければ、まだいくらでも取り返しがつくからなのかもしれません。 言葉にせずにどうやって考えるの?言葉にするのを恐れて言葉にしないということ。これ

  • 「わかる」ことは「かわる」こと/養老孟司、佐治晴夫: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 考えない、行動しない、他人の心を想像しない。だから、わからないし、変わらない。 養老 つまり、その人の行動なり、考えなり、世界観なりがその段階で変わっていない。言ってみれば、小手先を変えればすむと思っているということです。 佐治 「わかる」ということが、「わ」と「か」を入れ替えて「かわる」ということになっていない、ということですね。 佐治さんが<知るというのは「わかる」の「わ」と「か」を入れ替えて「かわる」ことだと思っています。>といい、養老さんが<変わらないけど頭に入っているものを「ただの知識」というんです。>と受ける。ともに還暦を過ぎた解剖学者と理論生物学者による対談は、宇宙のこと、音楽のこと、生物のこと、意識・言葉のこと、教育のこと、学習のこと、そして、男と女のこと、

  • 「かわる」つもりがなきゃ「わかる」こともない: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 人間は図書館じゃない。ましてや、ファイルサーバーでもない。 佐治 あなたは宇宙のことをよく理解していらっしゃるんでしょうけれど、僕から言わせていただくと、宇宙のことを知るということは、宇宙のことをあなたが勉強して知ることによって、あなたの人生がどう変わったかということをもって、知る、ということなのです。あなたは生徒に、授業を通して彼らの人生をどのように変えられるかということを念頭において、地学の講義をしていますか? 単に勉強して知識を得るだけじゃだめだということです。かわらなきゃ、です。 これは高校で理科の教師をしている人向けの研修会で、佐治晴夫さんがある1人の先生に言ったことだそうです。 単に知識を得るのが勉強じゃない、知識を教えるのが教育じゃないということですね。 それ

  • 語彙を自分のものにするためには、言葉を私的な物語につなげることが必要: DESIGN IT! w/LOVE

    プレゼンテーションはうまくありませんが・・・。 重要なのは単語の数ではないのです。組み合わせです。自分が感じたこと理解したパターン・概念を体系立てて考えていくと、それは言語体系につながって行って最後は語彙に落ちていくと思うんです。 うまくはありませんが、積極的にプレゼンテーションしているという身としては、これはとても納得。いや、納得してるのは、元記事が自分だからかw じゃあ、<自分が感じたこと理解したパターン・概念を体系立てて考えていくと、それは言語体系につながって行って最後は語彙に落ちていく>というのは、具体的に何をどうすればそういうことになるのか?というあたりに関して、最近、すこし思っていることを書いてみようかと思います。 ブログで読んだ書評を書くまず「「わかる」ためには引き出しを増やさないと」や「ボキャブラリが少なければ他にどんなすごい技術を身につけても仕事はできないのかもしれな

  • 「わかる」ためには引き出しを増やさないと: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 年末に「創造性を高めるために必要なもの」というエントリーを書いたときにも言いましたが、記憶の引き出しが多いってことがいかに大切かってことを最近身に染みて感じています。 なんで身に染みるかはまたおいおい書くことにしますが、ここで明確にしておきたいのは、自分の記憶の引き出しが多くないと、どんなに「わかる」機会を与えられても「わかった」という結果を得る確率が高まりませんよってことです。 そんなことをあらためて書こうと思ったのは、今日、会社の後輩に、問題解決と問題の定義の効率について質問されたからです。 「ある問題があったときにパッと解決案が出てくるのはなんでですか?」 「引き出しにある過去の経験から引っ張ってくるから」 「でも、どの解決案が適切かを判断するためには、相手が何を問題