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日本文化に関するgitanezのブックマーク (106)

  • ほんまに賢いゆうのはどういうこと?: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 法隆寺、薬師寺の修復・復元に関わり、最後の宮大工棟梁といわれた故・西岡常一さん。 その西岡さんの話をまとめた『木に学べ―法隆寺・薬師寺の美』を読んでいると、人間って昔にくらべて当にアホになったんだなーと感じます。 例えば、西岡さんは、いまの建築基準法にダメ出しをしています。建築基準法では、コンクリートの基礎を打ちまわした土台に柱を立てろと書いてあるそうですが、「コンクリートの上に、木を横に寝かして土台としたら、すぐ腐りまっせ」と西岡さんは言います。20年もしたら腐るという。法隆寺や薬師寺では、石を置いてその上に柱を立てているから1300年経っても腐らない。 今みたいになんでもそのまままねたりせんのや「明治時代以降に入ってきた西洋の建築法をただまねてもダメなんや」と西岡さん

  • 日本の逸品◆和傘◆岐阜マルト藤沢商店

    定休日は、日・祝日と、10/4(土)、10/18(土)、10/25(土)、11/1(土)です。 ● 全国伝統的工芸品展 11月13日(木)〜16日(日) ☆和傘の展示・販売・実演・体験コーナーを予定しています。 場所:岐阜メモリアルセンター(ふれあいドーム・体育館) 問合せ先:岐阜県産業労働観光部モノづくり振興課 TEL:058-272-8361 FAX:058-278-2656 ● 金華山の岐阜城天守閣でパノラマ夜景を楽しめます。 9/6(土)〜10/13(月)の土・日・祝日 9:30pmまで 問合せ先:岐阜市役所 058-265-4141 (内線 6233) ● 岐阜・長良川の 鵜飼は、10/15(水)まで楽しめます。 問合せ先:鵜飼観覧事務所:058-262-0104 ふでばこ  特集 傘  雨をたのしむ 15号 2008年6月10日発行 発行元:(株)白鳳堂

  • 折形デザイン研究所 | home

    Origata Design Institute #301 3-15-2 Minami-aoyama Minato-ku TOKYO 107-0062,JAPAN »facebook »山口デザイン事務所 ©2002-2022 Origata Design Institute. All Rights Reserved. site by osumi.org.

  • [徳力] 白州で教わった、日本には日本ならではのやり方があると言うこと。

    土曜日に、AMNの関連でサントリー白州蒸溜所の「シングルモルトウイスキーセミナー」体験イベントに参加させて頂きました。 通常は、AMN主催イベントだと司会や裏方でレポートどころではないのですが、今回は普段からサントリーさんが開催されているセミナーにAMN経由でブロガーの方々をご紹介という形だったので、私も一参加者としての参加です。 なお、白州蒸留所では、普段から直接蒸留所に来られた方に無料で工場見学のツアーを実施されているそうなのですが、今回はAMN連携企画で特別に、はとバスをセッティングいただきました。 白州蒸留所に黄色のはとバスが泊まっているのが何とも不思議な絵だったりします。 ちなみに、個人的には、昔製造機械系のメーカーの営業をしていたこともあって、工場というとどちらかというとオイルやペンキで汚れているイメージがあったりするのですが、白州蒸留所はそういったものとは無縁。 飲料を扱う工

    [徳力] 白州で教わった、日本には日本ならではのやり方があると言うこと。
  • 「自分っていったい何なんだろう?」っていう問いの立て方自体が間違ってる?: DESIGN IT! w/LOVE

    あー、なるほどなー、と思いました。 江戸が鎖国から始ったことも、これと深く関係している。鎖国は人の出入りを禁じたが、その理由は人が「情報のかたまり」だからである。情報は幕府が独占するものだったが、それは情報こそが社会制度だったからである。 ここでいう「これと深く関係している」の「これ」は、江戸期の封建制度が、農民は農民、武士武士という風に人を社会的に固定したことを指しています。農民は農民としてのイメージを、武士武士としてのイメージを社会における固定点として確立することで、それさえ守っていればあとの行動はどうでもいいという風にしたということです。 農民らしさ、武士らしささえ守れば社会的な役目は果たせるので、そうした社会においては自分らしさを問う必要はなくなる。自分探しもとうぜん必要ないわけです。 だって農民だもん。武士だもん。で社会的に十分通用するわけです。 個々人のなかで中身が日々変わ

  • 盆栽の手入れ: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 以前「梅の花」というエントリーで紹介した梅の盆栽。 その後、新たにピンク色の梅の木も仲間入りして、そちらとともども花が終わって来年に備えて剪定もしたら、ちょっと見た目にさびしくなりました。 なので、昨日、苔を買ってきて張ってみました。 小さな山みたいになっていい感じ。 これがまだピンクの花が咲いていた頃。 ピンク色のほうは買ってきたときはただの苗で鉢がしょぼかったので、植え替えをしたり、盆栽ってなにかと手入れは必要なんですよね。 盆栽なんてはじめてなので、鉢植えの仕方も、今回の苔を張る作業も、自由が丘で品品-sinajina-という景色盆栽のお店をやっている小林健二さんの『BONSAI×Life―小さな盆栽でつくる四季折々の景色』のを見てやりました。 鉢も植え替え用の土、

  • 日本の手仕事道具 -秋岡コレクション-

    オケクラフトセンター森林工芸館 MUSEUM OF OKECRAFT CENTER 〒099-1118 北海道常呂郡置戸町字置戸439番地4 Tel: 0157-52-3170 Fax: 0157-52-3388 著名な工業デザイナーとして活躍した秋岡芳夫(1920〜1997)さんが、日の手仕事道具と手仕事で作られた生活用具を中心に、デザイン活動を通じながら日各地で収集した次代に引き継ぐ大切な資料です。 置戸町は、この資料を通じて日の手仕事文化を後世に伝え、これからの暮らしや地域社会のあり方、新しい生産技術を生み出す知恵として、現代社会の中に生かす活動を進めています。

  • ふすま―文化のランドスケープ/向井一太郎、向井周太郎: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 日のデザイン・ものづくりに関する興味がとまりません。知れば知るほど、その考え方が新鮮に映ります。そして、何より僕が興味をもつのは、西洋のものを静的にとらえる発想にくらべて、日のデザインがものを固定しようとしないところ。ものも人も変化するものとして捉える発想は、今後ますます必要となるであろうインタラクション・デザインを考えるにあたってのヒントに満ち溢れているように感じます。 そんな僕の日デザイン・日のものづくりに対する関心をより大きくしてくれたのが、今日紹介する『ふすま―文化のランドスケープ』。 「ふすま」は平安時代の寝殿造りの住居に由来します。そのことを想い起してみますと、「ふすま」によって柱間が仕切られていくという住居の形式が、平安時代から千年以上も経た今日にもお

  • ユニバーサル・デザイン批判: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 ル・コルビュジエ、ミース・ファン・デル・ローエなどに代表される「機能の合理性を求め、無駄な装飾を排除していった建築」に関して、arclampのyusukeさんがこんなことを書いています。 ここに至って、僕としては機能とは単独の存在として切り出して形を有するようなものではないと考えます。すべては関係によって成り立っている。それが凸的とか凹的であるとか、そういうことではなくて総体そのものが関係によって構成されている。 機能と関係性。 ここでの関係性は普遍的なものというよりも、アフォーダンスについて書かれていることからも、環境と生物がその都度織り成すコンテキスチュアルなものと考えてよいのではないかと思います。 一方の機能のほうはといえば、そのコンテキストを無視した形で普遍化を目指

  • 変化と固定化:日本に期待されていること: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 変化する動きそのものを重視するか、固定化されたモノそのものを重視するか。 ここ最近のエントリー、 「自分探し」より大事なのは「もう一人の自分」をみつけること意味を超えたところにある何か不確実な世界の変化を受け入れる敏感さ庭と日人/上田篤 で書いてきた日古来のモノの見方には、そのことが大きく関わっていると思います。 「意味を超えたところにある何か」で引用した養老孟司さんの言葉にあるように「生き物は二度と同じ状態にあることはなく、反対に表現は決して変化しない」のであって、このいずれ-同じ状態にあることなく変化し続ける生物・自然か、人間によってコントロール可能な形に固定化された人工物か-に価値をおくか=畏れるかは、人びとの思想を形づくるうえで重要な岐路となりえます。 その岐路

  • 庭と日本人/上田篤: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 このを見つけたのは偶然でした。 たまたま、その日は出かけた際に電車のなかで読むをもっていなかったのでした。 そして、移動中、を読むのを我慢するのはいやだったのです。 そして、品川駅構内の屋で見つけたのがこの一冊。 あまり期待していなかったんですが、読んでみるととても参考になりました。 ずっと疑問に思っていた、 日人はなぜ家にあがるとき、を脱ぐのか? に対する答えが見つかった気がしたからです。 太陽祭祀と日の庭まず、このは、平安期の天皇の日常のすまいであった清涼殿の東庭からはじまります。 清涼殿の庭は東を向いているといいます。 一方で、公式行事が行われる紫宸殿の庭は中国の「天子南面する」の原則を受けて南に庭がある。 清涼殿の庭が東面しているかという理由は、そこ

  • 不確実な世界の変化を受け入れる敏感さ

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 もしかしたら客観性とは、いまを生きる自分がもつ同時代性を越えて、自分に時代を越えた視点を与えてくれる視点なのかもしれないな・・・。 昨日の「意味を超えたところにある何か」ではそんなことを書きました。 意味に問えば、人は必ず同時代の言説や物事、しくみに縛られざるをえなくなります。 しかし、意識的に知覚することはできない小さな声であっても身体は感知しているのであって、その声に従うなら時代を超えて古(いにしえ)の世界を知ることもできるのではないか。 白洲正子さんの『かくれ里』を読みながら、そんなことを考えます。 自然の景色は、それこそ「つはものどもの夢の跡」で、すべてを呑みこんで黙しているが、その気になって付合えば、ついには口をわってくれるものと、私は信じたいし、信じてもいる。少

  • 「自分探し」より大事なのは「もう一人の自分」をみつけること: DESIGN IT! w/LOVE

    ここでいう「我見」は舞台で舞う自分の目であり、もうひとつの「離見」とは舞台で舞う自分をみるもう一人の自分を指しています。 世阿弥はそういう二人の自分をもって能は大成するといい、これは「離見の見」といわれるものだそうです。 自分の心をコントロールするこの例を出しつつ、上田さんは<茶の湯もおなじだろう>と言っています。 茶の点前をする自分のほかに「もう一人の自分」がいて、茶の点前をする自分を見ている。そういう視線にたいして過ちのないように茶の点前をしなければならない。いわば主観性と客観性とをあわせもつ芸である。ということは、茶道という芸は自分の心をコントロールすることなのだ。自分の心が芸をコントロールすることではないのである。 この<自分の心をコントロールする>のであって、<自分の心が芸をコントロールすることではない>という一文にはやられました。 芸をコントロールしようとしてもダメなんですね。

  • 梅の花: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 日で(春の)花といえば、桜なんでしょうけど、僕は桜より梅が好きです。 天皇の私的な在所であった内裏において、天皇元服や立太子、節会などの儀式が行われた正殿である紫宸殿の南庭には、現在、東に桜、西に橘が植えられていて、「左近の桜、右近の橘」と称されますが、松岡正剛さんによると、この「左近の桜」も当初、梅だったそうです。 梅が紅梅と白梅で一対になるという感覚は、すでに光琳の紅白梅図屏風を見ているわれわれにはなじみぶかい。 けれども古代では、梅は橘と組んで一対とされていた。紫宸殿に植えられたのは、もともとは左近の梅と右近の橘なのである。この一対が常世からの果実をもたらすものだったからで、それがいつしか左近の桜に替えられた。 「左近の梅」が「左近の桜」になったのは、ちょうど『古今

  • 「とりあえず感覚」のデザイン: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 昨日紹介した『デザイン12の扉―内田繁+松岡正剛が開く』を読んで関心をもったことの1つに、家政学とデザインの関係があります。家政学は19世紀アメリカで盛んになり、建築とおなじくらい重要なものと捉えられている学問だと柏木博さんは紹介しています。 家庭内で行われていることを科学的に考えて生活やその環境のあり方を構想するのがアメリカにおける家政学です。それはテイラー・システムやフォードのシステムが労働の場において行ったことの家庭版といえます。 ビーチャー姉妹は、家事労働を軽減するために、まず具体的な設備に注目します。設備を使いやすくすれば、家事の時間や費用や労力が節約できると考えたからです。家庭内で家族全員が家事に参加することを表明しています。それは当時のアメリカの中産家庭でサー

  • 年の功だとか、日本型の知の普遍化としての型だとか: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 昨日の「狭義のデザイン、広義のデザイン」では、「最初に絵が浮かばない人はデザインに向いていない」なんて書きましたが、それと関連する意味合いで、実はある程度歳をとらないとデザインってうまくならないのかななんて思いはじめています。 やっぱりある問題に対峙した際にパッと絵が浮かぶってのは、ある程度自分に蓄積された記憶の量と種類が必要だと思うんですね。「「わかる」ためには引き出しを増やさないと」っていうわけです。その意味では年齢を重ねながら得た経験は「引き出しを増やす」ことにもつながりやすいのでは、と。 もちろん、歳さえとればいいわけではないし、「創造の現場における「知っている」ということ「身体が覚えている」ということ」で取り上げたようなモーツァルトの例もあります。経験を重ねるとい

  • http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1218.html

  • お能・老木の花/白洲正子: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 僕は、能を見たことはありません。 このを読もうと思ったのは、最近、能を見てみたいなと思いはじめたからです。能を見たいと思ったのは「「はかなさ」と日人―「無常」の日精神史/竹内整一」で紹介された能の謡曲の世界に興味をもったからでした。 お能がいつ、どこで、どうして発生したかと言うことは、おそらくだれにもはっきり言えないと思います。舞踊の歴史は人類とともに古いのです。お能はその長い長い舞踊史をつづるクサリの一部です。(中略)お能はこの多種多様のクサリのなかからいつのまにか生まれ出たのです。ただひとつはっきり言えるのは、「お能は純粋に民族的のところから発生した」ということだけです。 能の前身は猿楽だといわれることもありますが、実際にはさまざまな舞踊を取り込む形で、足利時代に

  • 鯨尺の法則―日本の暮らしが生んだかたち/長町美和子: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 失礼な話、あんまり期待しないで読みはじめたのですが、とてもおもしろく素敵なでした。 文章もすごく読みやすいし、写真もきれい。しかも、内容がすごく僕の興味をそそるものでした。 着物地は洋裁のように端切れを裁ち落として捨ててしまうようなもったいないことはしない。(中略)着物は直線裁ちでできているからこそ、そして一定のサイズがあるからこそ、リフォーム、リサイクルが簡単にできる。着る人の身体の凸凹に合わせて立体裁断される洋服だったらこうはいかない。 僕はこので読んではじめて知りましたが、着物をつくる際には、あまった部分の生地も切ったりせずに「おはしょり」して内側に縫い込んだりするそうです。だから、体格の違うほかの人用に仕立て直す場合でも<ほどいて洗い張りして縫い直せば>リサイク

  • 茶室とインテリア―暮らしの空間デザイン/内田繁: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 デザインと人びとの生活というものを考えるうえで、日に昔からあるデザインについて知ることは1つのヒントになります。 個別のもののデザインではなく、あるカテゴリーのもののデザインの変遷を考える場合、ヘンリ・ペトロスキが『失敗学―デザイン工学のパラドクス』で書いているような、失敗から学ぶ積み重ねによってデザインが改善・洗練されていくということがあり、何よりその改善・洗練はその時代の人びとの生活にフィットしていくという方法でよくなっていきます。 個別のものの完成度としてではなく、カテゴリー単位でのデザインの意味を読み解こうとする場合、ある程度の歴史を重ねるうえでつくられてきたものの形について考えることは、いまのデザインを考えるうえでも非常に有効だと感じています。どこにでもすわれる